妄想?語呂合わせ?オヤジギャグ?
今日は植田喜兵成智氏の著書の「新羅・唐関係と百済・高句麗遺民」を読んでいて、唐の武周革命から玄宗辺りの時代に沙咤義英なる人がいて、沙咤は百済の沙陀に通じるから百済からの遺民(三世?)だと述べていますが、沙陀と言えば黄巢の乱の時に突厥の沙陀部族‼️の李克用が鎮圧し、後唐に繋がりますが、百済の沙陀と李克用の沙陀が丸っきり同じ(笑)。百済は高句麗と同祖とも言われ満州辺りの扶余が故地とも言われますが、トルコ系モンゴル人が東に移動して百済人になった可能性、まあ百済系の人達が西に移動して突厥系モンゴル人=沙陀族になった?可能性も考えられますが、日本語がトルコアルタイ系なのは百済の言葉が日本に導入された?端的に百済人が日本人となり日本語が成立した可能性もあると感じます。ある意味後唐の沙陀族の一部は宋の成立前に日本海から東北辺りに流入して源頼義とか安倍頼良と名乗った?みたいな妄想にも至りますがさすがにおかしいですか?昭和時代に源義経がジンギスカンになったみたいな話が言われましたが、私個人的には後唐や契丹の人達が宋や金と戦う過程で日本に逃げて来て日本の武士になった可能性の方が高いように感じます。そう言えば古代百済系の人達は吉士と呼ばれていてキチやキシと読んだのでは? また、契丹と語呂が似ています(笑)。古代百済からの渡来人に吉田姓が与えられた記事も確かあり、誰もこんなこと言わないけど誰か研究してくれないかなぁ。