星詠みの庭 -3ページ目

星詠みの庭

東洋占術を中心にしたブログです

2月10日土曜日

 

10年来の知人達との月例の飲み会。

 

この日はPM17:00集合で、

その場所まで1時間弱かかります。

いつもならPM15:30くらいには出掛ける形になります。

 

しかし、最近、また少し「奇門遁甲」を気にするようになり、

ちょっと遠くへ行く場合、六十時一局の時盤を

参照するようにしています。

 

すると、その日のPM15:30は申刻。

家から目的地は西。

 

その時の遁甲時盤の西には天盤「甲」地盤「庚」の

「飛宮格」

という大凶の象意。

突然の事故、事件などに見舞われる恐れ。

 

はたと悩みました。その週、ちょうど風邪を引いており、

土曜日は治って直後です。

そんな状態の中で奇門遁甲における屈指の凶方位を

使用してしまったら何が起こるかわかりません。

 

一応、重要視する八門は休門なので、

最悪な事は起こらないかも知れませんが、

慎重を期して、申刻ではなく、ひとつ前の未刻に

出る事にしました。

 

何事もなく無事に現地に到着。

 

かなり早めに着いたので喫茶店で時間つぶし。

そこで断易の道具を持参したので、

本日の飲み会について占ってみました。

 

山水蒙が地水師にゆく。

甲寅木月 癸酉金日 空亡:戌亥

世爻に子孫が付き、飲み会の楽しみを

示していますが、空亡で、月の寅に剋されて弱いです。

 

今日はあまり楽しくないのかな?と思いつつ、

その世爻に伏している酉金妻財が日に臨んでおり、

本卦の戌土子孫が空亡で弱いので

この伏している妻財が意味を持って来る事になりそうです。

卦身でもあり、何かありそうですね。

 

応爻が、飲み会の楽しみを示す子孫爻を剋す

忌神になっています。

応爻なのでこの会の主催者をあらわしますね。

 

ここが忌神・・・。

 

珈琲をすすりながら

 

(これは今日はちょっと注意が必要だぞ)

 

と、心構えをしました。

 

この応爻忌神については、込み入った事情があって

記す事はできないのですが、

結局、飲み会は

「仮想通貨」についての論議に終始する事になりました。

 

主催者がその話しの中心になり、

かなり真面目に貨幣経済について話し合う事に。

 

飲み会の子孫爻的な楽しさはなかったものの、

伏神の卦身、妻財爻が意味合いを持つのは

具体的にそういう事だったのか、と納得。

(妻財はずばりお金の事を意味します)

 

 

その日の傾向がずばり出ていたのと同時に、

もし遁甲の「飛宮格」を使っていた場合、

いろいろと面倒な事になっていたのかなぁ、と。

 

占いのある日常。

 

なかなか楽しいものです。

 

 

 

 

 

増刪卜易の第十二、五行相剋章の三つ目の事例。

 

「新しく引っ越しした土地では安全に暮らせるか?」

 

という問い。水天需→乾為天

 

 

断じて曰く、

 

「世爻に申金子孫を持って動いて午火の回頭剋

 

「また、上爻の子水妻財も動いて戌土の回頭剋

 

「子孫と妻財に害が及ぶ。すなわちあなたの一家が

害を受ける象意です。

すぐにそこから引っ越しすべし

 

質問者

「別に門戸を改めれば災いから免れますか?」

 

「私はこの回頭剋を見逃せない。夏になって

火が旺じれば必ず災いが降りかかりますよ」

 

その質問者は、引っ越し先の近くが黄河だと知らず、

そこから改めて引っ越しを出来ずにいたら、

九月に黄河が氾濫して災害をこうむってしまった、との事。

 

「午月を以って応ずるは午火が権に当たって

世爻を剋し、子孫を剋し、また子水の妻財を

冲したのであり、一家が皆害をこうむる所以である」

 

 

質問者が、門戸を改めれば災いから逃れられますか?

という部分は、門を強固にすれば

泥棒などにも対応できる、という事と、

もしかしたら陽宅風水的な事も含まっているかも

知れないので興味深いですね。

単純に引越せば災いから免れますか?

という意味のような気がしますけど。

 

あとは九月が午月、という事になっているようですが、

これは当時の彼の地の暦的な捉えかたでしょうか。

 

 

 

しかし、この卦、二爻の寅木に官鬼が付き、

月日に旺相してさらに日の合を受けて相当強いです。

この二爻は「宅爻」にあたり、

家の事を示す場合があるのですが、

ここに強い官鬼が付いて

家屋の災いを示している、と考えられますね。

 

また、この寅木官鬼は合起し、世爻の申金とは

冲の関係。

寅と申の冲は突発的な強い衝撃という意味合いがあり、

まさに突然の災害。

 

この解釈は本文には無いのですが、

二爻の「宅爻」にもちゃんと出ていて

良く出来た事例だなぁ、と感心しきりです。

 

 

本文に無い、と言えばこの章の最後は

こう締めくくられています。

 

「聖人が易を作り、人を吉に、凶を避けるのであるが、

 

いまだ卜占を知らない者も天の宿命であり、

 

卜占を知る者もまた天の宿命である。

 

すでに卜占を行い、神がすでに告げる事を知りながら、

 

故意に従わない者をなくすのは不可能であり、

 

それもまた宿命である」

 

 

これは、今回採り上げた事例の後に書かれており、

夏になると災害に見舞われる事を

卜占で知りながらも、質問者が

それを避ける事のできなかった事を受けて

書かれている文章だと思われます。

 

しかし、中国のサイトで増刪卜易の項目を

辿って行くと、この五行相剋章の三つ目の事例って

掲載されてないんですよね・・・。

 

古典なので、版によっては抜け落ちている事例が

あるのかも知れません。

 

この章の最後の文章は、

三つ目の事例を経てより味わい深さを

感じる事ができるので、

藤田氏の訳本は抜け落ちていない

完璧なの物ではないか、と思います。

 

にしても、その第十二章の最後の言葉。

 

占断がはっきりと出ているのに

従いたくない。

あるいは不可抗力で従えない。

 

前者が多い気がしますが、卜占あるあるですね(笑)

 

古典探訪は楽しいです。

 

 

先日の9日、久し振りに

燦伍さんの月イチイベント「占い交流会」に

参加しました。

 

去年、ご縁をいただいた

松岡”北斗柄”先生、

榎本先生、

銭天牛Jr先生、

幸月シモン先生、

燦伍オーナーの千田先生に

ご挨拶させていただきました。

 

そして各先生方にいろいろと占っていただきながら、

お酒を飲みつつ占術にまつわるお話しを

いろいろと拝聴。

これがまた楽しく、勉強にもなり、

このうえない有意義な時間。

 

そして、シモン先生にお付き合いして

日本酒を飲んだり、イベントメニューにはない

ウィスキーなんかも注文。

アイラモルトが好きなのですが、

千田先生がチョイスしたのは私が飲んだ事のない

アイラモルトで、これまた美味しい。

ついつい深酒モードに(笑)

 

帰りの電車でまどろみながら、

太古の昔から続く占術の歴史の中で、

洋の東西を問わず、

こうしたサロンで時代時代の占い師達が

交流していたのであろうなぁ、と

しみじみ感慨深く思うのでした。

 

先生方、燦伍さん、ありがとうございました。

 

 

2018年も始まりました。

少し遅いですがあけましておめでとうございます。

 

昨年は占術関係で多くのご縁に恵まれました。

また、先生方に励ましのお言葉をいただいたり、

占術の知見なども拝聴して勉強になったり、

充実していたと思います。

先生方には感謝申し上げます。

 

その一方で、そのご縁のいただくきっかけになった

ある方と、逆に縁を切らせていただいた事もありました。

 

いろいろと残念でしたが、たくさんのご縁を

つなげていただいたご恩には感謝しています。

 

 

今年もまだまだいろいろと勉強の年になりそうです。

学びたいものはたくさんあります。

欽天四化紫微斗数や、

流派の色の濃い四柱推命、

奇門遁甲や陽宅風水もまた見直してみたい。

 

まぁ、お金と時間をどう折り合いつけるのかが

最大の難関ですが(笑)

 

そして断易、タロットの腕を磨く事。

まずは自分の為に十二分に活用できるようになる事。

 

地道に行きたいと思います。

 

つたないブログですが、今年もよろしくお願いいたします。

 

 

大海水  拝

 

 

ツイッターではちょこちょこ書いていますが、

先日太玄社より発売された

「増刪卜易」(藤田善三郎訳)を少しずつ勉強しています。

 

断易(五行易)の古典では

「卜筮正宗」「増刪卜易」「易冒」と、三本指に入るもので、

その実占例の豊富さが特に有名です。

 

占例を解いたり読み進めたりしているのですが、

少々クセがある、と言いますか、

ある人の言葉で

「古典には意地悪な部分がある」

というのがありましたが、

何かその片鱗のようなものを感じる気もしますね。

 

 

例えば次の占例。

 

自分の病気を占ったものだそうですが、

巳月 乙未日 空亡:辰巳 沢風大過→火風鼎

 

増刪卜易では「自ら病を占う時は世爻を用神とする」

とあります。

続いて

「忌神が動くが、元神も動く。

接続相生で世爻には吉ではないのか?」

と質問を受けます。

すると

「世爻は月破を受け日辰に剋されて弱すぎる。

接続相生くらいでは力が及ばない。凶である」

 

と。

そしてその病占をした方は癸卯の日に

そのまま亡くなってしまったのだそうです。

いわく、卯木の日が来て元神である酉を冲して

冲去してしまったからだ、と。

 

なるほどなぁ、と思うのですが、

確かに世爻は月破、日辰の剋できつい状態ですが、

この卦は普通に病気の用神である官鬼を見た方が

話しが早い気がするんですよね。

 

官鬼に白虎が付くのは死葬の可能性があり、

動いて回頭生を受け、月には剋されますが、

日辰には生じられます。

また、月建の巳火、五爻動爻官鬼の酉金、

初爻日冲を受けて冲動する丑土の三つで

三合金局で酉金へのプラスになりそうです。

 

そしてその官鬼を生じる元神、上爻の未は動いて

これも回頭生を受け、非常に強く

五爻の官鬼をバックアップします。

病気の勢いがかなり旺盛である事がうかがえますね。

 

そこへ来て自分自身である世爻が

月破、日辰の剋ですから、

これは亡くなってしまう結果をとらえた占筮である、と

言えそうです。

 

しかし、「接続相生でも良くない例」、として

記している所に、何かクセのようなものを感じます。

まぁ、「意地悪」とまでは行きませんが、

別の見方の可能性も含んだりしている所が

古典の特徴なのかも知れません。

 

こうやっていろいろと気付く部分もあって、

やはり占例を解くのは大切だと思いますし、

古典の面白さでもあるのかな、と感じました。

 

 

「言葉は変化して行く」と言われます。

 

良くあるのが、「言葉の誤用の方が定着してしまう」事。

 

代表的なものは

 

「さわり」 でしょうね。

 

本来の意味は

 

「一番盛り上がる部分」

 

の事です。

 

恐らくかなり誤用されている方が多く、

例えば、

「ちょっとその曲のさわりだけ聴かせて」

みたいに使われたりします。

 

「さわり」という語感から、「触る程度」のような

意味合いを想像して、

曲の最初だけ軽く聴かせて、といったような意味で

広く使われているのではないかと思います。

 

本来の意味からすると、

その曲の一番盛り上がるサビの部分を聴かせないと

いけません。

 

また、「敷居が高い」

という言葉も良く間違って使われていると言われます。

例えば

「老舗の懐石料理屋は作法とかも良く分からないし

値段も高そうで敷居が高いなぁ」

 

なんて使い方をする方が多いのですが、

本来は、

「ピンポイントにその場所に何か具体的な訳があって

行く事が難しい」

というのが正しいようです。

料理屋でしたら、そこで他のお客と大喧嘩した、とか、

酔っ払ってお勘定を踏み倒そうとした、だとか、

具体的に何か訳アリの場合のみ、

 

「ちょっとあの店には申し訳なくて敷居が高いんだよね」

 

といった使い方ですね。

 

私もつい「敷居が高い」と言ってしまいがちですが、

なんとか「ハードルが高い」、と言うように努めています。

 

他にもたくさんあり、私なんかも知らないで間違って

使っている言葉も多いのではないかと思います。

 

 

 

さて、そんな事を書いたのは本屋さんの占いコーナーに

行った時の「風水」の扱いについて、

やはり深刻だなぁ、と思うからです。

 

私自身、浅学菲才なうえに、

風水師になる事をあきらめた身として、

上から目線で物言うのは本当に愚の骨頂なのですが、

やっぱり8割方、本来の風水ではないと思われるものが

占めているので如何ともし難い気持ちになります。

 

言葉の誤用が定着して行くのと同じく、

恐らく「風水」も本来と違った意味のものが

定着して行くのでしょうね。

 

私が考える本来の風水とは、

自分のご先祖が安らかに眠っていただいて、

見守っていただく事。

そして、大地のツボのようないわゆる「龍穴」

呼ばれる場所の認識。

 

その二つを結び付け、ご先祖の死後のお住まい

「陰宅」

を如何に設置するのか、というものです。

 

とかなんとか偉そうに言ってますが、

私は「龍穴」があるとされる「龍脈」すら追う事もできず、

「龍穴」を見つけるなんてもってのほか。

 

ましてや、見つけた大自然のツボを、

人間の為に使えるように整えるなんて技術は

普段の都会暮らしのナマクラな自分には

到底無理な話。

下手に龍穴をものにしようとして、

自然界からのバチが当たる話しもよく聞きます。

 

それにしたって、山をかきわけて

数週間かけて龍脈を追い、やっと見つけた龍穴を

少しおすそ分けいただく。

 

それには易や河図、洛書、五行の理論なども

駆使せねばならず、

その技術や心構え、体力、智力、その他諸々の

選ばれる要素は半端じゃありません。

 

 

私が風水師をあきらめた所以です。

 

 

そして「巒頭」「理気」の二大要素を

死者の住まう「陰宅」ではなく、

生きている我々が住まう住居に応用するという、

「陰宅」の反対の「陽宅」と呼ばれる技術が

派生して行きます。

 

 

「風水師」「風水コンサルタント」

「風水で方位取り」

 

などの名前が本屋さんに踊っています。

 

「風水占い」

 

いや、風水は「占い」ではなくて

人間で言えば「鍼灸」にあたるような「技術」・・・。

 

 

「もう誤用が定着して行くのかな」

 

などと偉そうに口走りつつ、

何も出来ずに風水師をあきらめた自分には

忸怩たる思いもこみ上げて来るのです。

いやはやお恥ずかしい限りで・・・。

 

 

 

前々回の記事で「移動の方位術は効果がない」と

書いたところ、少々反応があったようですね。

 

強めの言葉で書いてしまった事を反省します。

 

正確に言うと

 

「結果が良くわからない」

 

という事です。

 

効果がないのか、

使い方を間違っているのか、

私が鈍感なのか

真伝が他にある。

 

どれかなのでしょう。

(四つ目は昔だまされたなぁ(笑))

 

過度な期待を寄せていた時期もあったので、

そういうものではない、のかも知れません。

 

以前も書きましたが、東京在住なので、

京都や北海道函館、千葉の銚子、日光、山梨、

三重(伊勢神宮)

 

基本的に100km以上離れた場所に

二時間以上かけて出かける。

到着した先ではなるべく最低でもひと晩泊まる。

 

などなど、一時期良くやってましたね。

今思うと随分とお金かけてたんだなぁ(笑)

 

結果良くわからない。

 

良い事があったのかも知れないし、

何か災難を避ける事が出来ていたのかも知れない。

 

体感的に何かあったのかどうか。

移動代、宿代、もろもろお金をかけて

特筆すべきような事は何もありませんでした。

宝くじとかも当たらないし(笑)

 

そう言えば、ちらほら有名なBIGで6億当てた方は

九星気学をメインに使用したようですね。

本も出したようです。

東京から青森、青森から九州、と

とんでもない距離を連続で使ったようです。

 

その根拠を九星気学に求め、結果を出したのでしょうから、

頭ごなしに否定するわけには行きませんけどね。

 

また、宝くじが当たるのは良い事というか、

運気が良いから当たった、というふうに考えがちですが、

真逆で、実は良くない事、運気を破壊してしまうような

出来事である、という考え方をする向きもあります。

 

以前も書きましたがアメリカとかでは

巨額の当選が、人生を狂わせるきっかけになった話が

多いようですね。

 

 

まぁ、兎にも角にも、私個人的には

お金をつぎ込んだ割には

なんだか良く分からなかった、という結果に

落ち着いてしまったわけです。

 

 

運を蓄積する

 

という考え方もあるかも知れませんが、

どうなんでしょうね・・・。

 

何もなくても、平穏無事に過ごせたから

良しとするべきなのでしょうか。

 

まぁ、今はちゃんと答えの出る断易があればいいかなぁ。

 

他の術をどうこう言う前にひとつの術をなんとか

ものにしなくては・・・。

 

なんと言いますか、方位術を否定する、というよりも、

自分には才能がなかった、と考えるようにしています。

 

 

四柱推命の命式を眺めていると、

いろいろと得心する事が多いです。

 

例えば、ある女性の方の命式。

日と月の天干が全く同じ。

 

これは自分自身を示す日干から見て「比肩」と言います。

「肩を比べる」

つまり兄弟のようなもので、自分自身と似た者同士、

という意味合いがあります。

ひいては「競争」などの意味も出てきます。

 

四柱推命にはいろんな流派があって、

考え方の違いもあるのですが、その中で、

月干はその人の収入に関する要素を示す、という

考え方があります。

 

その月干が「比肩」という事。そして収入面という要素を

加えて考え、そこに「競争」という要素が加味された時、

「同業者」や「ライバル」という

事象が浮かび上がって来易いと考えられます。

 

仕事面や収入を得る要素において、

競争相手が生まれやすい。

 

その事象の通り、何故かその女性は

いつも誰かを敵視、ライバル視しています。

特に同性。

また、それがその女性の行動原理の源であるのでしょう。

 

そしてその女性で一番厄介なのは、

命式の五行のバランスからその月干が、

自分自身の日干に対して

悪い影響を与えやすい

という事です。

 

それは畢竟、

 

「ライバルに勝てない」

「いつも競争に負ける」

 

という意味を表面化しやすい事になります。

(もちろんそれだけではありませんが)

 

負けず嫌い、という事もあるのでしょうけど、

自分の実力、力量等をかえりみず、

とにかく目をつけた同性の同業者に対して

親の仇、といった勢いでライバル心を燃やしてしまいます。

 

しかし結局、ライバル視した相手には勝てず、

うやむやにした果てに、

また別なライバルを求めるのです。

そしてまた勝って乗り越える事は出来ず、

いっときの情熱が失われたのち、

また次のライバルへ・・・。

 

延々とその繰り返し。

 

「自分は自分。他人は他人」

と割り切ってライバル視なんかする事なく、

自分の道を淡々と進めば良いのですが、

ライバルを作って自分を発奮する、というのが

生きるうえで魂を突き動かす

根本的な原理であるゆえになかなか

平穏な状態は難しい。

 

しかも、それが女性にとっていつも良くない結果を

生みやすいので、

宿命の過酷な面を見たような気がしましたね。

 

 

 

前回の記事の後、

いろいろと意見をいただいたりする中、

私自身の占術に対する認識がよりハッキリして来ました。

 

なんと言いましょうか、

私はどうも一言で言ってしまうと

 

「幼稚」

 

なんですね。

 

あくまでも

「当たる」「当たらない」

「効果がある」「効果がない」

 

この根本的な部分に執着があり、それこそが占術の

存在意義だと思っており、その部分にしか興味がない、

と言う事ができるかも知れません。

 

当たらない、効果のないものを

いつまでも追いかけるつもりは毛頭なく、

当たる、という前提の上で占術に触れているわけです。

 

例えば、そこそこ長く接して来たつもりでいる

「移動による方位占」に関しては、

現在ではもうやめてしまいました。

 

九星気学で言う所の

「佑気取り」「お水取り」「お砂取り」など。

また、異質な奇門遁甲によるいわゆる

「立向盤」による方位術。

などなど。

 

九星気学に関してはそこまで突っ込んで

勉強したわけではなく、

かつ、現代でも研究、活用されている方が多く、

また面識ある方でも気学を実践されている方が

いらっしゃるので

あくまで個人的見解にとどめていますが、

私としては効果があるとは思ってません。

 

九星による卜占も触れたものの、

九つある星の中で四つも五つも象意が出てしまうので、

なんとでもこじつける事が出来てしまう。

 

ですから、恐らくはもっと直感や、霊感とまで言えるような

インスピレーション鋭い方ではないと

正確には使いこなせないのではないか、という

考えに至りました。

 

 

また、異質な奇門遁甲においても、

その宗主たる方が最終的に

 

「立向盤はあまり使えない」

 

と、発言をされているのを聞くにおよび、

自分でもさしたる効果を感じられなかったので

今ではあまり取り上げる事はありません。

 

若干、黒門氏が尽力されている

大陸の奇門遁甲による卜占の応用的な

方位の使用は興味ありますけどね。

 

 

 

翻って、人を占う事をメインにする場合、

よりカウンセラーの色合いが強まります。

 

大切さの順番では占術は二次的なものになり、

一番大切なのは、依頼人の悩みを如何に

解決して行くのか、という事になりますよね。

 

どうも、私が占術に「当たる」「当たらない」

幼稚にこだわっている部分が、

恐らくカウンセリングには邪魔なのでしょう。

 

また、私個人が他人様の悩みを

解決してあげられるとは思えない。

悪く言ってしまうと、

 

「他人の事に責任を持ちたくない」

 

のですね。

人としても幼稚なのかも知れない(笑)

 

 

占術を手掛かりとしながらも(占術を使わなくても)、

他人の悩みを一緒に解決するために努力する、

という姿勢を貫くには

私はまだまだ幼稚なのだな、という考えに至りました。

 

良くちまたでは、占い師はインチキだ、という声を聞きます。

マスコミやネット上でも、占いの胡散臭さの

イメージだけが横行している印象があります。

 

しかし、悩みを持つ人と占断を手掛かりとし、

コミュニケーションを一生懸命行い、

何か少しでも悩みを和らげるように手伝う姿は

ある種、崇高さをも感じます。

 

反面、依頼人の心に深く入り込んで

影響を与える可能性もありそうなので、

その点も難しく思われますね。

それが悪用だったり洗脳であったりする場合も・・・。

 

 

 

さて、私はどうするかな・・・。

 

このまま占いオタク道を

進んで行くだけかも知れません(笑)

 

ここ最近を振り返って、自分の占術に対しての 

スタンスが見えて来たかな、という気がしています。 

ご縁があって対面鑑定などもさせていただいたり、 

チャットによる占いもさせていただいりしたのですが、 

どうも自分にはあまりしっくり来ない、という事が 

わかりました。 

最大のポイントは、 

 

「純粋な占断の結果と受け取る方の認識のズレ」 

 

ですね。 

 

こんな事がありました。 

ある方が今年に事業を起ち上げたいのだが、 

その吉凶を占ってほしい、と言われました。 

結果は「凶」。 

慎重に何度も卦を読み直しました。 

間違いがあってはいけません。 

私としては真摯に占断と向き合ったつもりでいます。 

 

しかし、出た結果は「凶」。 

動けば動くほど良くない、という形が出ていました。 

 

そしてそれを伝えると、その方は 

 

「そんな事はない」 

 

との応え。 

なまじちょっと占術をかじっているその方は、 

更にこう言いました。 

 

「他の占いでは良いと出ているし、そう言ってくれる 

占い師もいます」 

 

「その占いは別な見方があって、それによると 

良い結果が出ている」 

 

(・・・・・。) 

 

その時にわかりました。 

この方は占術から導き出した吉凶を知りたいのではなくて、 単に事業を起こしたい理由、大義名分を 

自分の中で欲していただけなのだ、と。 

 

その方は単純にイエスマンが欲しいだけだったのですね。 

その後も、その方は自分の気に入らない事があると 

周囲に働きかけてイエスマンを探すような事を 

再三行っており、 自分の言う事を聞かないとキレてしまう。 

 

 

また別な方は異性の事を占って、良くない結果が出ると 

非常に落ち込んでしまう。 

 

人は誰でも自分にとって良い事を求めるのは 

正しい姿であると思います。 

 

しかし、良い事しか知りたくない、

という姿勢に 固執するのであれば、 

わざわざ占う事なんてないんです。 

 

全てを根拠のないポジティブシンキングで 

乗り切って行くのも、それはそれで潔いと思います。 

 

占術に頼った以上、 

その結果を受け入れなければなりません。 

その結果を「どう扱うのか」、はまた別な問題ですが。 

 

悪い結果が出たのであれば、 

それを踏まえた行動をすれば良いだけ。 

悪い結果に従わない、というのも相応の覚悟があれば 

良いと思います。 

 

落ち込むだけでは占った意味はないし、 

最初から占う意味もない。 

 

このように、「純粋な占断」「純粋な占い結果」に対して 

受け入れる事ができずに 

自分の都合の良い結果だけを求める、という方が 

割と多いようなんですね。 

 

私は、どうもそういうギャップを受け付けないようで、 

極端な話し、占断では「悪い」、と出ているのに 

「良い結果が出てますよ」 とウソを教える。 

もっと言えば、占術なんか使わないで 

適当に相手を持ち上げるウソを言ってりゃ良い、 

という事になってしまいます。 

 

そんなくだらない事はしたくない。 

 

 

心理的に良く言われている事なのですが、 

 

「人に二択問題を相談する時、 

実はもう、その人の中で結論は出ていて 

背中を押して欲しいだけ」 

 

というものがあります。 

占いを依頼する人の大半はこれではないか、 

と思わなくもないです。

 依頼の内容にもよるので、それが全てとは言いませんが。 

 

私はやはり趣味の範囲でとどめていた方が 

良いのかも知れない。 

 

そんな事を最近思います。