नमस्ते  導明です。

最近、インド占星術師の中でコンサルを行う上で、場合によっては対価を取らずに行う者やお気持ち制を売りにしている人がチラホラ見られるようになった。

クライアント側からしたら場合によっては無料で鑑定してもらえてラッキーと思う人もいるだろう。

しかし、これって占星術師としては「やってはいけない」ことだと知っていないとならないことなのだが••••。

その理由は、カルマをイジるからなのだがやってる占星術師は、その理由まで知らないのだろう。

無論、知っていたら「やらない筈」である。

伝統的にヴェーダーンタなどのインド哲学系は、対価を要求しては成らずダクシナなどの寄付で対価を受け取るのが慣習となっている。

しかし、ジョーティシャは技術を使いカルマに手を加えるので、その際に生じるカルマを緩和しパーパカルマを占星術師が受けない為でもあるのがその理由の一つだったりする。

本来、その人が生まれながらに持って来たプラーラブダ•カルマに手を加えるなど出来ないのだが、ジョーティシャの技法にはそれを可能にするものがある。

普通は、自分のプラーラブダ•カルマがどのようなモノかなんて知ることは出来ないのだが、ジョーティシャでは、正しく学んだ者であればカルマが戻ってくる時期を特定することが出来る。

そして、そのカルマに手を加えることも可能になる。
本来、カルマはある意味個々人が神と交わした契約と言っても過言ではない。

その為、それに手を加えることは行うべきではないのだが、中には簡単な気持ちで鑑定を受けて、定めを変えたいという人もいる。
つまり、ジョーティシャが行う処方はカルマ理論を理解している占星術師が伝統の方法で行うモノであり、よく有りがちな宝石を使ったモノは特殊な分割図などを用いて正しく行わないとクライアントにも行った占星術師にも、パーパカルマという形で降り掛かって来るのである。

その為、神との契約に手を加えるのだから、呪いを受けるのは必然の行為である為、占星術師は勿論、クライアントも共にマントラを唱えたりして、神の呪いを恩寵に変える為、物凄い努力をすることを求められるのである。

つまり、占星術師が対価を要求するのは発生した対価を自分の食いぶちに当てたりするのではなく、プルシャールタ(自助努力)の為の戒めとして頂くモノなのです。

つまり、クライアントは鑑定料という対価を払ったから終わりではなく、占星術師から処方を受けた後も毎日マントラを唱え続けるなどの努力を行う必要があるし、占星術師は毎日のマントラ詠唱は当たり前として神との誓約を行い続ける為の証として対価を受ける必要があるのです。

インドでは、ブラーフマナや占星術師に儀式や処方をお願いしたなら、自らお礼を支払うという慣習がありますが、現在の日本では宗教心の乏しい者が多く、お気持ち制というと別にお礼などしなくても良いと思っている人が多くいます。

そうしたことをする人には、神との契約、約束を足蹴にした報いとして神の呪いを受け災難に見舞われる事になるのです。

恩寵と呪いは、表裏一体の物であり簡単に考えてはならないモノなのです。

もうすぐ年が明けて初詣に行き願い事をする人も多い筈、しかし殆どの人が願掛けはしても願解きをする人は少ない。

願いが叶っても叶わなくても、初詣で願掛けしたら、その年の暮れまでに願解きをしなくてはならないのを知らない人が殆どだったりする人には信仰心に乏しい現代日本人に取って、恩寵や呪いについて考え方を見直す必要があるのだと思います。