昨晩、師匠と電話会議。

講座の公開についてや現状日本に於けるジョーティシャの普及率の伸び悩みなど、話は多岐に及んだ。

この10年でインド占星術とは名ばかりのなんちゃってインド占星術師が増えたことに対する憤りとも言える感覚。

その原因は、西洋占星術的なイメージでボヤかした教育手法にあることや「ジョーティシャの本流」から見れば「不足した内容が全てであるかのような」ものが、正統派とされていることに原因があることなど、話は尽きなかった。

ジョーティシャの聖典であるパラーシャラは、実はジョーティシャ(インド占星術)の全てが書かれている訳ではない。

それは、サンスクリット語がわかる人なら容易に気付くことである。

パラーシャラに書かれていることは、5000年以上前の大いなる智慧を持つ聖賢達にしてみれば、やっと言葉を覚え出す幼児に言葉を一から教えるに等しいことしか書かれていないということ。

インド占星術は難しいと言われているが、私からすれば西洋占星術の方が複雑過ぎてある意味で難しいとさえ思うのだが。

ここまで書けば、察しのいい方なら私が何を言いたいとしているかわかるだろう。

何をどのように学ぶのか?

また、学ぶ上で不足を感じたら不足しているものをどのように補うのか?


それを考えることが大切なのだと思う。

不完全なもので、満足するようでは成長などあり得ないことだけは確かだと思う。