こんにちは、宿命の扉へようこそ!


Storytellerの頼夢です。


人間が生きるという事について考えた時、

他人は『生きる』ということを『どのように考えているのか?』

また、自分はどのように、考えて来たのか?

私は、度々瞑想することがあります。


今日一日を振り返ってみて、どんなことが有ったのか?

思い返すことをする人は、どのくらいいるのでしょう?


良いことが有った。

または、楽しいことが有った。


人間は、こうしたことについては、案外覚えていて記憶の中で反芻させることをします。


でも・・・


悪いことが有った。

嫌なことが有った。


ということは、記憶から早く消そうとする。

忘れようとします。


これだと、人間は成長する速度が著しく遅くなります。


悪いことが有った。

嫌なことが有った。


という事が起きたら、または経験をしたら

その日の内に、何故それを経験したのか?回避することは出来なかったのか?について、寝る前に考えてみる事です。


そして、そういうような事がまた起きたことを想定して対応まで

頭の中で考えてから、眠るようにする。


そうしたことをしていると・・・


人間は、似たような場面に遭遇した時に冷静に対応が出来るようになります。


私は、食事一つについても考えて食べるように哲学というモノを勉強するようになってから考えるようになりました。


自分が今している行為(食事という行動)は、何のためにしているのだろう?


食事というモノを楽しむ為にしているのだろうか?

それとも、生きる為にしているのだろうか?


恐らく、食事を楽しむ為にしている人は、きっとこう思うでしょう。


頼夢さん、あんた変だよ!ってね。


でもそれは、常時無意識に時間を浪費しているに過ぎません。

生きているとは言えないと思います。


今を楽しいと思えればいい。

だって、無事に明日を迎えられるかなんて判らないから。

もしかしたら、5分後に交通事故に合うかも知れない、通り魔に刺されて死んじゃうかも知れない。


一寸先は闇だから、今を楽しんで何が悪い。

でも、それって本当に楽しんでいるのでしょうか?


私の目には、必死にもがき苦しんでいるようにしか見えません。

『生きるとは』考えることです。


考えて、考えて、考えて、そしてどれだけ意識的に行動や行為を行うかということだと思います。


無意識に、ただ楽しみを貪っているだけなら

それは、自慰行為を覚えた猿と同じです。


死ぬまでそれを繰り返すことが、本当に楽しいことなのでしょうか?

こう言った人達を表すのに、とても適した言葉があります。


Avidya ⇒Kaama ⇒Karma


これは、欲望の三原則であり、原因とも言えるスパイラルです。



Avidyaとは、無知という意味の言葉


kaamaとは、執着・愛着という意味の言葉。


Karmaとは、行為・行動を意味する言葉です。



欲望とは、無知ゆえに起こり、執着を産み、やがて行動させるという流れを作り出します。


生物というモノは、苦しいことや痛いこと、そして辛いことを避けようとする習性があります。


その習性の矛先は、自らが知り得る”楽しいこと”や”楽なこと”です。

それは何故か?

苦しさや辛さの原因を知らないから、知っている楽しさや楽なことに執着して、そればかりを繰り返し行います。


そうです、馬鹿の一つ覚えということです。

そして、更に知らないことに対して、恐怖や不安というモノを抱くと言うのも、人間という生物の特徴です。


あなたは、毎日を考えて生きていますか?

生きるということが何なのかを考えていますか?


知る事を恐れていては、何も始まりません。

毎日を考えて生きる、意識的に生きることを心掛けるだけで


他人の目には、あなたは成長したと映るでしょう。

あなたは知りたくありませんか?本当の幸福とは何なのかということを。



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