1 今までの仮説
「僕は、ダメな人間である。」
ゆえに
「自分より優秀な人やその道のプロ・ベテランの言うことは、素直に受け入れなければならない。」
と思い込んでいた。
しかし、他人の言うことをどれだけ素直に聞いても、僕は司法試験に受からない…。
僕の努力不足?僕の先天的な能力不足?
確かに、その面も否めないだろうが、努力できなかったのも「他人の言うことに従おう」と無理したことに起因するのかもしれないし、あるいは、僕の能力が低いのではなく、ただ単に、他人の推奨する方法と僕の能力が「合わない」(すなわち適性の問題)のかもしれない。
さて、いずれにせよ、結果が出ていないのだから、方法を大きく変えなければならない。
「狂気、それは、同じことを繰り返しながら、別の結果を期待することである」(A.アインシュタイン)
2 新しい仮説
⑴ 僕は優秀
では、どうするか?
もう、大きく前提から変えてみようと思う。
すなわち
「僕は誰よりも優秀な人間だ」と考えるのである。
ゆえに
「他人の言うことなんか聞かない」との帰結が導かれる。
⑵ 世の中、嘘ばかり
実際に、他人の言うことを素直に聞いても、僕は試験に受かってない!
少なくとも他人の言うことを素直に聞くことは、成功の十分条件ではないことは明らかだ。
それどころか、有害なのではないか、とすら思える。
どいつもこいつも無責任に適当なことを言ってやがる。
どっかで耳にしたことがあるようなセリフや、受け売り、願望・個人的主張を、何の検証もせずに、押し付けてやがる!自分の自己満足のために!
誰も真に俺の為を思って説教してくる奴なんかいない。
誰も責任なんか取ろうとしない。
あなたの言う通りにして、不合格という損害を被ったのだから、あなたが責任を取るのが筋だろうに。
もうそんな奴らの言うことなんか信じない。信じることは、デメリットの方が大きい。
世の中嘘吐きばかりだ。平気で適当なことをいう奴がわんさかいる。
以前も、学校の休憩室で、偉そうに「うーん、文面審査は、法令審査より先に検討したほうがいいんじゃない?形式論は実質論に先行させるべきでしょう?」なんて言ってやがった奴がいた。なぜ?と言いたい。なぜ形式論は実質論に先行させるべきなのか?それは絶対の法則なのか?少なくとも木村草太先生はそうは考えていない(急所156頁)ようだが?
勘弁してほしい。
3 新仮説に対する批判
⑴ 「採点委員に気に入られる答案」
という訳で、もう「自分が正しいと思った事を信じ、自分が正しいと思ったことを答案に書く」と決めた。
しかし、出るわ出るわ、批判の数々。
「それはやめたほうがいいですね、点がつかないです」
「もう司法試験諦めて、司法書士目指せばいいんじゃないですか」
「まずは、試験合格することが先決じゃないの?」
やはり司法試験受験生の中では、「採点委員に気に入られる答案が正しい答案」というのが鉄則のようだ。
しかし、まず、疑問を呈したいのは、「採点委員に気に入られる答案」を書くには、具体的に何をどう努力すればいいのか?という点である。
①まず「採点委員に気に入られる答案」というものをしっかり観念でき、②そして、そこに向けて真っすぐ能力を伸ばす方法論が確立されているのか?
よく言う、「全科目平均50点とれれば合格できる」「周りの受験生よりいい答案を書けば合格できる」などという命題と同様で、仮にそれが正しいとしても、そこから具体的に「どう行動すれば良いか」の答えは導かれはしない。つまり、命題として無意味なのだ。
さらにいえば、なぜ、「僕の正しいと思う答案」が、「採点委員に気に入られる答案」ではないと言い切れるのかが疑問である。僕の追い求める「正しい答案」というのは、「論理と理論に裏打ちされた隙のない答案」である。どうしてそれが、「不合格答案」になるというのか。仮に「採点委員に気に入られなかった」としても、「不合格」ほどの点数になるだろうか。
むしろ、司法試験もペーパーテストである以上、採点表があり、したがって正答が用意されているはずである。そこに向かって勉強すればいいのであって、わざわざ少しズラして採点委員の方向に向かって勉強するのは迂遠であり、非効率ではないか?
⑵ 非効率
そう、非効率なのだ。僕は、教科書に書いてある事を理解できる。
なのに、わざわざレベルを落として、予備校本に当たったり、バカな先生や受験生にどのように書くかを尋ねたり…、まことに非効率。そして、むしろ、「レベルを落とした答え」に納得ができず、モチベーションが下がり、勉強意欲が低下する。
前述の通り、「採点委員に気に入られる答案」を書くのは、方法論が具体的に決まらないが、「理論と論理に裏打ちされた隙のない答案」を書くための方法論は一義に決まる。それは正しく勉強することだ。丁寧に教科書や判例評釈を読んでいけばいい。「採点委員に気に入られるには、どうすべきか」などと悩む時間など消え失せる。
「合格者の~~さんはこう言ってたから、こうしよう」「優秀答案では、こういう書き方だから真似しよう」「試験委員はこう言ってたから、そうしなきゃ」という程度の理解が得られたところで、何になるのか?結論だけ覚えても、次回からの問題解決能力は身につかない。何故そうなるのか、が解らなければ、全く同じ問題が出ない限り処理できない。本当に同じ解決ができる問題なのか、本当に同じ記述で通用するのか。仮初めでツギハギの「正答」が得られたとしても、今度は、それをどう使えばいいか、が分からなくなるのだ。
非常に効率が悪い。
人生を浪費している。
僕は、時速100キロで走れるんだ。
わざわざ他の連中にあわせて時速20キロで走る必要はない。
どんどん先に行くんだ。
理論と論理だけを頼りに勉強するんだ。
4 決意
他人にどう言われようが、これでいく。
僕は、「人は信じない」。「論理や理論」を信じる。
「優秀な人も信じない」。本年度択一1位(173点)の人にも止められたが、彼のことも信じない。本年度択一不合格の人の言葉でも、「理論的に論理的に正しければ、そちらを信じる」。
つまりは、自分の判断を信じる。
自分が、「論理的に、理論的に正しい」と思ったことを信じる。
自分が正しいと思ったことを信じ、自分が正しいと思ったことをする。
勿論その結果は、全て僕の責任として受け止める。
俺は獅子だ。
テクニックにはしる必要なんかない。
ただ全力で走って、相手の喉元に噛み付けばいい。
草食動物の言うことなんか信じない。
俺にとっちゃ、「採点委員に焦点を合わせる」方が非効率なんだよ。何でわざわざレベルの低い事をやらなきゃならねーんだ。
君の効率は、僕の非効率なんだ。
俺は、教科書の記述がわかるんだ。
判例の論理を見極められるんだ。
学説や判例の矛盾にも気付ける。
そして、論理的な文章も書ける。
真っすぐぶつかればいい。
レベルの低い人間の言うことなんて気にするな。
全力で駆け抜ければいい。