このところのウクライナ侵攻を受け、日本にも武力をと言い出した人たちがいます。
さて、その人たちが想定する武力とはいかなるものなのでしょうか?
どういった使い方を想定しているのでしょうか?
徴兵で若者を戦場に送り出すのでしょうか?
老若男女言い出した人が戦場へ赴くのでしょうか?
自衛のためのみに私たち、子育てを終えてもうやることも無いしという、ジジババが赴く
のには反対しませんが。
私は国防という言葉が嫌いです。
国防ラインというのは、大日本帝国の場合設定されたのが、ガダルカナル,アッツ,
キスカの諸島内南洋 (中・西部太平洋諸島) ,西部ニューギニア,スンダ,ビルマと
されたのです、これは物資、源確保を想定した場合考えられる範囲となるのです。
為政者たちは、”追い詰められたから”と口にするけれど、
今回のプーチン氏も元東欧諸国がEU参加を希望していることをロシアへの脅威と言
って自衛と言っています。
しかし、戦場となっているのはロシアではなくウクライナです。
れっきと主権を持った他国です。
他国を戦場としたら、それは既に自衛ではないと思います。
大日本帝国の日中戦争も太平洋戦争も戦場は他国で始まりました。
あれも大日本帝国は追い詰められたと言っていましたが、戦争を拡大させたのは
日本でした。
自虐史観とよく言いますが、してはいけなかったこと、あの時代であってもやり
過ぎていたこと、衆愚だった面など、反省すべきことは多くあるでしょう、今回
のロシアを見ると大日本帝国を連想します。
為政者は戦争を起こす、拡大させる言い訳はいくらでも思い付くでしょう、
反省無き武力保持は恐ろしい。
戦後教育を自虐史観と口にされる方の一文を見て思いました。
自衛は大事です。そして自衛の定義付けはもっと大事だと思います。
勇気あるロシアメディアの女性のような行動が報われることを祈ります。