プレバトに便乗して俳句~です。今回は、名人、特待生の一斉査定で、兼題は

「打ち上げ花火」でした。

 で、果敢に披露す、

 

 自作二句~、

 

 ベランダに蝉暴れおり遠花火

 

 今年は、アメリカで17年蝉が大量発生したとありましたが、日本でも多い

のではないかと。

この数日で早くも蜩やツクツク法師の声、はたまたもう、コオロギ?という

声まで。生き急いでおります。

 そして、今年は蝉が窓にぶつかったり、jijijijijijijijiドンガシャバサバサと

どこにぶつかっているんだということが幾度もあり、ぎょっとさせられる

ことも。死骸がベランダにあるといい気はしないので、生きているうちに退散

願おうと何度か見回りもしました。

 

 

 人の死よ打ち上げ花火の轟

 

 打ち上げ花火が大々的に日本で上がるようになった始まりが、江戸時代享保年間

のお盆に飢餓や疫病に亡くなった人の鎮魂のためだったとか、また、住んでいる町

でかなり近い距離で花火大会がありまして(コロナ禍で昨今年は中止ですが)より

会場に近いおうちの子の泣き声が混じって聞こえてくるなと思っていたところ、お

年寄りで、打ち上げ花火の音が焼夷弾の音に聞こえて怖がる方がいるという記事も

読んだことがあり、そして一番に思い出されたのが、その昔、「官僚が新しいこと

をしようと思ったら、政治家に打ち上げてもらわないと動けない、一方政治家は

何か花火はないかと官僚にアイディアを募ってくる」という話を聞いたことでした。

政治家の花火が正しければ市民は安穏としていられるけれど、誤っていたら災禍は

市民に降ってくるものだと思って赤木メモが残っている森友問題もね、官僚を

生殺与奪ですよね、コロナ禍も経済を理由に現場の医者の苦言に関わらず、楽観論

に持って行こうとしては悪循環を起こしているように見えてしょうがない。

 まぁ、オリンピックは良いものを観たと英気が養われた人も多いとは思いますが、

ここで、政治家の失態やIOCのゴーマンに惑わされず、また気を引き締めて、マスク

してうがいして消毒して換気して程よい距離で乗り越えていきたいですね。

 早く市販できる治療薬が出来て来ないかしら。

 

 

 ということで、出演者の作品~、

 

 ABC-Z 河合君(特待生4級→5級降格)

 制服のキスの余韻や揚げ花火 

      → 制服のキス揚げ花火今開く

  発想がベタで、”余韻や”とムダな詠嘆で、季語の力を削いでいるという評

でした

 

 

 森口瑤子さん(特待生1級→名人1段)

 花火果て電車空く間のデンキブラン     

   デンキブラン:明治15年からの神田バーの名物カクテル

   時間経過を詠むのは難しいところ上手くまとめているとのこと。中句で

  もたつくところを最後にカクテル名を持ってくることで大人の俳句になって

  いるとのこと。

 

 

 

 松岡充氏(特待生1級→2級降格)

 大煙火五臓六腑を鷲掴む

  ↓

 大花火                      

   煙火には、のろし、煙と火、花火と三つの意味があるので、選択ミスという

  ことでした。また、”五臓六腑を掴む”は、俳句の世界では花火との 組み合

  わせとしてありきたりでマイナス点でした

 

 

 中田喜子さん(名人3段)

 まなざしや句読点無き恋花火

           ↓

         恋・花火         

   禁じ手を使われた添削でした。この句だからと。元句では、句読点無く

  打ち上げられ続ける花火とも読まれるところを作者の意図した、まっすぐな

  恋心をと読んでもらうための添削でした。

 

 

 

 千原ジュニア氏(名人6段→7段)

 手花火の火に手花火と手花火を         

    手花火を三つ重ねることで家族であって、カップルではないと伝わり、

   最後の”を”により火を近づけているという動きを連想させる。

    季語を三つ重ねた勇気も褒められていました。

 

 

 

 東国原英夫氏(永世名人 本へ掲載決定)

 音なき音や八月の大花火           

    ”や”の詠嘆の先に八月をもってきたことで、”八月”という戦争に

   関連付けた亡くなった人の声、叫び、魂の動き、寄ってくる音を敢えて

   詠嘆したのだなと解釈をしての評価でした。

    逆に静かな音に注目すると

   音のなきおと八月の遠花火 と梅沢冨美男氏ならされるだろうと、

    それぞれの個性に着目されて講評がされました。

 

 

 

 梅沢冨美男氏

 火を纏う演習男児筒花火

 ↓

火まみれの                    

 ”纏う”は衣を纏う、コケが纏うなどに使われ迫力不足で後続の句との

 一体感に欠けると本への掲載はボツでした。