「1Q84」 読みました。先に言うと、私はハルキ文学は苦手です。
 文章が、なんとなくクリスタル なのか、読んでいる途中は、”青いままのおっさん” のイメージが湧いて来て、まぁ進まない、進まない。
 でも、話題だし、ノーベル賞候補だったし、一応「海辺のカフカ」も「ノルウェイの森」も読んだし、最後まで読んで確認しようと頑張りました。
 ストーリーを読むと、村上春樹氏が何に怒りを覚えるのかがわかるような気もしますが、最後まで読めたのは、ストーリーじゃなく、ストーリーに散りばめられた暗号のような言葉、”リトルピープル””空気さなぎ”のおかげだったように思います。途中、ウィッキや他人の評を読み合わせながら読みました。読み終わってみると面白かったのじゃないかなという気もしてくるし、せっかくゼェゼェ言いながら完走した本なので、言葉を並べながら考察なんぞをしてみようと思います。
 
 「二つの月」
 これは、パラレルワールドであることを意味しているようです。
 
 
 
 
 「六人のリトルピープル」
 
 この”リトルピープル”というのは、オーウェル著「1984」の”ビッグブラザー”に対するものとされているそうで、この”ビッグブラザー”というのはスターリンに代表される”独裁者”のことだというので、それでは”リトルピープル”というのは”小市民のことかと考えます。次に気になるのが、”六人”のという数字です。ある人の評でリトルピープルは遺伝子のことじゃないか とあったので、DNAの化学式を調べてみましたが、こちらは五単糖形で期待した六角形のベンゼン環ではありませんでした。で、次いで思い付いたのが、仏教でいう「六道」。
 六道とは、迷いのある者が、輪廻する6種の迷いのある世界の世界のことだそうで、天道、いいところのように思いますが、苦も無く享楽と煩悩のある世界で解脱が出来ないそうです。人間道はここ、唯一自力で解脱出来るところだそう。話は逸れますが、「アラン使道伝」で玉皇天帝が「人間は何故か人間界に生まれ変わりたがる」という言葉を最終回で言われるそうですけれど、答えがここにあったじゃんと思った次第。話を戻して、修羅道は、苦しみ怒りは自らに帰結する、即ち自分発の苦世界。畜生道、本能ばかり、使役されるばかりの世界。餓鬼道、地獄道は読んで字の如くということらしいです。パラレルワールドを渡った主人公の青豆、天吾や、輪廻かい?という看護婦の一人を思い出すと、これが近いのかもと思えます。
 しかし、”6”という字は、”オーメン”でも使われていて何か意味がある数字なのかもしれません。興味が湧きます。”6”にまつわる小説などを紹介してくださると嬉しい。 
 
 「空気さなぎ」
 「空気さなぎ」は、リトルピープルが、空気中から白い糸を引出し、そこへ時には、死人の髪の毛を混ぜて、3日かかって紡いで作る”さなぎ”のことです。
 この空気中から引き出す、白い糸というのが、注目かなと。
 これを、私は、時代の空気とかとか歴史の恨哀しみ伝統因習集団への帰属性宗教悪習を表しているのではないかなと、イスラエルで、村上春樹氏が演説した「卵と壁」の話から連想しました。
 DNAとこの白い糸を混ぜ合わせて、人 は作られる。そんな感じ。
 
 ほかにも”山羊”、”猫”、”納屋”、”気の毒なギリヤーク人”、”マザとドウタ”という言葉があります。
 
 「山羊」は
 
 最初にリトルピープルが現れたのが、死んだ山羊の口からだったのですが、私はすかさず、”スケープゴート”を連想しました。
 
 「猫」は、
 「海辺のカフカ」にも「猫狩り」で登場していました。
 村上春樹氏にとって、猫って,孤独にその日をただ生きている弱者である市民の象徴なのだろうか、と思いました。
 
 「納屋」は
 村上春樹氏の作品「納屋を焼く」があったなぁと。短編集だったと思いますが、私が最初に手にして、挫折した本だと思います。
 
 「気の毒なギリヤーク人」
 これも村上春樹氏作品のどれか別の作品でも目にしたことがあるような気がします。文明の衝突とか、女性の地位の低さとかを思わせる話でした。
 
 「マザとドウタ」
 これは、リトルピープルなのか神なのかわかりませんが、その方の”声を聴く者”ということだとか。声を知覚するのが、ドウタで、受け入れる者(私は伝達する者だと思ったのですが)がマザだそうです。わかるようなわからないような。
 
 
 ざっくり言ってしまうと、ドウタである深えりが、マザである父親から離れ、天吾と組んで本を書く、マザである父親を青豆が殺す。そうしたことで、リトルピープルの教団から狙われるようになり、雇われた探偵牛河がきっかけで、青豆と天吾、二人は20年ぶりに再会することが出来、次の世界へ逃げていくというストーリーなのです。途中いろいろと不可思議現象が描かれています。
 
 暗号のような一つ一つの言葉を辿れば、わかったような気がしますが、ストーリーというより文章を追えば、やっぱり”なんとなくクリスタル”なのか、いったい何が言いたかったんだコノヤローという気分になってきます。
 
 
 ノーベル賞候補になった、村上春樹氏の「1Q84」を読んで、振り返ると小松左京著「果てしなき流れの果(はて)に」や光瀬龍著「百億の昼と千億の夜」(萩尾望都・マンガ)、山田正紀著「神狩り」のほうが、スケールでけぇぞぅ と思ってしまう私です。
 
 
 追記:牛河って作者の投影なのかしら?などと。