母が亡くなったのは
私が28歳の時
桜が吹雪の春の夜でした。

私は母と父とは血のつながりが
ありません。

養子縁組で親子になったわけです。


子供が出来なかった両親は
子供が欲しいと思っていたそうです。

今でこそ養子縁組は
耳にする機会がありますが

昭和の時代
まだまだ隠していることが
多かったのではないか?と
思います。

それが小学校に入学してすぐ
「もらわれてきた子だ!お前は」と
いじめられたことがあります。

泣きながら母に尋ねると
「そう言われたんだね...」

「あのね、お母さんとお父さんには
子供が出来なくて..」

 

「どうしても子供が欲しくて
たまたま床屋のお客さんが
あの村で子供を育てられないから
養女に出したいと言ってる人がいてね」

 

「会いに行ってすぐに引き取ることを
決めたんだよ」

「私たちの顔を見てニコッと笑ってくれて
嬉しかったのよ...」

こう話してくれたのは
小学1 年の春ちょうど今頃でした。

私の中で本当の親じゃないということは
どうでもいいことで
ただ本当かどうか知りたかっただけでした。

本当の事を聞いたところで
何も変わる事なく
「お母さん・お父さんは目の前にいる両親」

子供心に
この人たちの子供でよかった!と
思ったんです。

養女になった経緯や母と父の気持ちを
母はきちんと目を見て話してくれた
その姿が今でも脳裏に焼き付いてます。

 




母が亡くなって30年余り

突然倒れて2週間の入院生活
ずっとそばで付き添っていたのに
最後を看取ることができず
後悔が残っています...

血が繋がっているから親子じゃなくて
血より濃い愛情で繋がっている親子も
いると思ってます。

その愛情の中で
のびのびと育ててもらって
大事にしてもらって
本当に感謝しています。

両親から教えてもらった
血より濃い愛情を
心の根底に、自分の価値観の中に
とどめながら今を生きています。
 

サロンのお客様・スクールの生徒さんに
対しても同じで愛情を持って接する
それはベタベタするものではなく
そっと見守る愛情

母と父から教えてもらった愛情の形が
人生・仕事にも生きています。

 

私を産んでくれた人から
40歳の時手紙が来ました。

「私があなたの母親です。会いたい」と

けど...

私の母は育ててくれた母だけ
会いに行きませんでした。

一緒に過ごした時間
泣いて笑って喧嘩した時間
辛い時にそばにいてくれた時間

息子の出産を喜んでくれて
大切にしてくれた時間

全てが愛情に溢れていて
かけがえなのない時間を一緒に
過ごした人が私の母親です。

こう手紙に綴って
会わずに終わりました。

 

母と父のもとに来たのは
生まれた時から決まっていた事じゃないか?と
思います。

血より濃い愛情を学ぶために
母と父の元にやってきた

お互いが必要としていたんだと
そんな気がしています。

母の命日にお花飾り
大好きなお饅頭を供えて
お墓のある新潟には帰れないけど
大切に供養しています。


母が生きることができなかった60代
母の分まで楽しく生きようと思います。

そして教えてもらった愛情の形を
息子にもお嫁ちゃんにも孫にも

そして関わる人たちにも
同じように与えていきたいと
改めて思っています。


血の繋がりだけが親子じゃないと
教えてくれた両親に心から感謝しています。

 

 

 

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