約700頁の長編大作。私のこの著者への接近は、1991年に読んだ「續明暗」(筑摩書房)、1996年に読んだ「私小説」(新潮社)以来であるから、実に約30年ぶりである。前者は雑誌「おおさかの街」23号、後者は38号で高く評価している(前者は評価しつつも漱石作品との関係で少し異論は述べている)。
私にとって3冊目の作品だが、それは絶品と言えるほど香り高く、感銘を受けるものであった。ここしばらく、文芸の読書は、京阪電車の片道20分弱の、細切れ方式であったが、2024年の12月、まとまった時間ができて、詰めて読んだ。
この作品には、多くの評価方法があるだろうし、作者が込めたテーマは多様であると思われるが、私は、ブラジルの日系移民の苦難の歴史、日系二世女性が辿った数奇な人生、日本という母国へのえも言われぬ情念が、高質なレベルで書き込まれている点が貴重と感じた。
軽井沢・追分の落葉松に囲まれた山荘と東京とを往復する、相続により資産をもつ翻訳家で、「失われた日本を求めて」というオンライン・プロジェクトを運営するイエール卒のアメリカ人、今の日本社会に対して批判しながら、10年以上日本に住むケヴィンが舞台回しである。軽井沢の歴史も詳細に語られる。彼は自らの山荘を鴨長明にちなんで「方丈庵」と名づけ、隣の立派な山荘を、源氏物語にちなんで「蓬生の宿」と名づけ、通路を芭蕉にちなんで「ほそ道」と名づけていたが、その隣家に移り住んできた南米駐在の元大使篠田夫妻との間で、物語は出発し、終わる。
その元大使の美貌の妻貴子が、日系ブラジル二世である。
ブラジル移民は母国日本からは口減らし国策として位置付けられ、ブラジルからは黒人奴隷の代わりと捉えられた。日本人移民は、渡ってくる前の日本と日本文化への誇りと一体感を強大に持ち、それが二世三世にも受け継がれている。太平洋戦争に負けたことを認めようとしないかなりの人々、彼らは勝ち組と呼ばれ、現実を認識しようとする同胞、負け組の多くを虐殺した抗争すら発生した。根は優しく繊細な男であった貴子の父は、勝ち組に属し、そのような犯罪のゆえに、自らは不可能となった貴子の養育を、「ぶゑのすあいれす丸」で一緒にブラジルに来た、日本古書店を営む夫妻に頼んだ。夫婦は祖父祖母となった。この夫妻も文化人であったが、さらに六条御息所と呼ばれる北条夫人が現れ、貴子にすでに日本では失われた古い日本の伝統教育、能、茶道などを教え込み、ちゃんとした日本人を作ろうとした。日本文学の巨匠たちの全集を幼いうちから読むほどの優秀な貴子は、それらの稽古を全て習得しつつ、生活の糧を確立するため、法学部に学び、弁護士となり、日系人のために働いた。そして、日本移民90年祭で、ブラジル勤務であった歳の離れた篠田と知り合い、彼の離婚を待って結婚する。篠田は、京大の政治学教授の息子であった。そして、篠田が大使を務めた後、外務省を辞めて日本に帰る時、貴子は、全てのものを売って、一緒に来日し、軽井沢で篠田と暮らし、ケヴィンと出会う。ブラジル料理を作りつつ、夜は能を舞い、横笛を吹く。しかし、そのような日々は長くは続かなかった。理想としていたちゃんとした日本が今の日本にはないことがわかり、篠田は、そのことで貴子の精神が壊れるのを放置できず、二人は日本を出て行ったのである。
いなくなった貴子について知れば知るほど、ケヴィン自身、大切な兄をアメリカで亡くした痛みが響応する。同性愛者だったケヴィンは、密かに2歳上の貴子を愛する自分を発見していく。篠田は、ブラジルで新型コロナにより息を引き取り、貴子をケヴィンに託すかのような、いまわのきわの言葉を発した。日本にいるケヴィンとブラジルにいる貴子が、今後どのようになっていくのかの示唆を与えずに、物語は終わる。
「枕草子」「源氏物語」、プルーストなど、内外の古典を敷き詰めながら進み、新型コロナウイルスのパンデミック性をも際立たせる、スケールの大きな現代小説である。
