中島みゆき研究は深く広いものがあるから、私などはそれらの研究書を読むたびに、自分の理解は浅く狭いと感じるのであるが、今回のコロナパンデミックを彼女はどのように歌にするかに多大な興味がある。

 コロナ禍で傷ついた多くの人々を慰め、励まして欲しいと願うのである。

 私のような小ファンが、彼女の社会観を論じるのは恥ずかしい限りだが、少し述べたい。

 

 デビュー曲、「時代」(1975年)は、死の床にある父の回復を願った曲と言われるが、客観的価値は巨大であった。悲しい経験を人は多くするけど、人の回復力は強く、必ず喜びも出逢いもくると歌う。どれほどの日本人がこの歌に励まされたであろうか。

 

 1978年の「世情」は、難解だが、デモ行進ばかりしていた政治的頑固者を賞賛している。

 その後、いろいろなシチュエーションに渡り、数多くの励まし歌を発表してきたことは広く知られている。

 彼女は、ストレートに心情を吐露することは抑えているが、もちろん激しい情熱家であることは、恋の歌の凄まじさとともに隠れてはいない。

 彼女が、「この国は危い」というようなストレートな政治表現を使ったことは、私の知る限り、「4..3」(1998年のアルバム「わたしの子供になりなさい」に収録)。1996年に発生し、4ヶ月以上経って翌年4月23日に人質が解放されたペルー日本大使公邸占拠事件をドキュメンタリーのように扱った長い曲の中に出てくる。解放を行なったペルー兵士の犠牲者に目を向けず、日本人人質が無事だとテレビが叫んでいることへの違和感を歌っている。

―この国は危い

 何度でも同じあやまちを繰り返すだろう 平和を望むと言いながらも

 日本と名の付いていないものにならば いくらだって冷たくなれるのだろう

 慌てた時に 人は正体を顕わすね

 あの国の中で事件は終わり

 私の中ではこの国への怖れが 黒い炎を噴き上げはじめたー

 

 東日本大震災の翌年、2012年に、彼女は「倒木の敗者復活戦」(アルバム「常夜灯」に収録)をリリースした。倒木を東北と聴いて励まされる多くの人々がいる中で、彼女がその聴き方を否定も肯定もしないと書いている評論が多いが、2016年11月10日放映の「SONGS」で「それはそれで否定するまでもないと考えている」と語っている。

―踏み倒されたら 踏みにじられたら

 答はそこ止まりだろうか

 光へ翔び去る翼の羽音を 地べたで聞きながら

 望みの意図は切れても 救いの糸は切れない

 泣き慣れた者は強かろう 敗者復活戦

 ・・・

 傷から芽を出せ 倒木の復活戦―

 

 コロナ禍の中で、多くの人がウイルスの恐怖と共に、人の言葉による差別、恐怖にさらされた。

産婦人科医だった父、そして母に、「幼少期から、中島は『刀で切った傷は薬をつければ治るけど、言葉で切った傷は薬では治せないんだよ』と教えられてきた」週刊現代20191123・30日号)という。

 その趣旨の歌詞は中島のいくつもの曲にあるけれども、最もその教えに近い歌詞は、「泣きたい夜に」(1980年のアルバム「生きていてもいいですか」収録)の次のフレーズではなかろうか。

―涙だけは大きなタオルでもあれば乾くだろう

 けれど心の傷口は自分では縫えないー

 心に受傷した人を抱きしめて励ましたいと、彼女はワルツ風の美しい曲の中で歌っている。

 

 体の病気には、感情や欲求を抑圧したり、適切な言葉で表現できないことが強く関与すると言われる中、「風の笛」(2012年のアルバム「常夜灯」に収録)は、次のように歌う爽やかで静かな応援ソングである。歌手がここまでのことを作詞し美しいメロディも作って歌う奇跡のような作品だと私は思う。

―つらいことをつらいと言わず  イヤなことをイヤと言わず

 呑み込んで隠して押さえ込んで 黙って泣く人へ

 言葉に出せない思いのために  お前に渡そう風の笛

 言葉に出せない思いの代わりに ささやかに吹け風の笛―

 

 そんな彼女が、コロナで苦しむ人々、我々にどのような歌をプレゼントしてくれるか、私は確信して強く待ち望んでいる。

 

                                 斎藤浩