新年は、元旦の群馬のニューイヤー駅伝(有力企業対抗)で始まり、2日3日の箱根駅伝になる。箱根は関東の大学の対抗である。

 

 私は、ずっとではないが、かなりの時間、箱根の駅伝を、若い時から見ている。

 

 見ながら、中年の頃は、友人や家族と彫刻の森美術館などで楽しみ、温泉に浸かったことを思い起こした。

 

 歳をとると、学生の走りを見ながら、戦争の時代を偲ぶようになった。偲ぶといっても、私はまだ生まれていないから、文献上での印象深い記憶なのであるが。 

 
 戦時下で、東京の空襲が激しくなると、国交のあった諸外国の大使館の多くは箱根の2ホテルに疎開した。ドイツとイタリア、タイ、ビルマ、フィリピン、満州国、中華民国は宮ノ下の富士屋ホテル、ソ連は強羅ホテルというように。他方、軽井沢には中立国スイスなどが疎開した。

 

 私は、箱根のそのホテル、両方とも泊まったことがある。また富士屋ホテルは、日弁連会館の地下の桂というレストランを経営していたので、2019年に営業終了するまで、日弁連の会議があるごとによく利用した。ビールと名物のだし巻きとエイのひれで、ヒートアップした頭を冷やし、小腹を満たした。強羅ホテルは、最後は富士屋ホテルの傘下に入り、1998年歴史を閉じた。

 

そのような感慨と思い出を縦横に馳せ、お酒を飲みながら、今年も駅伝を応援した。学生が山を登り、下る姿は、平和の象徴の一つだと思う。                                 

 

斎藤浩