ことの発端は、私が組合の方から事件で使うために本をもらって、読んでみたら大和田さんの面白さに魅かれ、何人かの弁護士及び労働組合の若手にその魅力を語っていたら、「みんなで読もうか」という流れになったことにある。
大和田幸治さんとは、港区にある田中機械製作所(元三菱化工機)で組立工として働きながら労働組合に加盟し、その後、企業の塀を越えた労働者の地域的団結をはかるために全国金属機械労働組合港合同(以下、「港合同」)を創設し、田中機械支部委員長、港合同事務局長を務めてきた方である。
大和田さんの組織論・運動論のうち、(おそらく当たり前なのだろうけれど)心にとめておきたいなと思ったところは次のとおり。
- 信頼と信用の獲得。「仕事にも影響力があって、職場の労働者にも信用があり、会社も一目置く、そういうふうになっていかないと、労働組合運動はできません。
- 本当の敵を見誤らない。「敵」と「敵の手先」ははっきり区別をしないとならない。「共闘関係にある労働者や組織の誹謗・中傷のみに躍起となり、行方を見誤ることがある」
- 「自覚的団結」と「経営の蚕食」。資本経営を引き付けつつ、組合員の立場を有利にするという一見二律背反に見える指針をとるためには、労働組合の闘争力などの力量と自覚が前提。
- 「みんなのレベルが一緒に上がったらええやないか」ではなく「跳ね上がり」と言われる人間がいて、それがある程度抑制されたりしながらも、全体がついていくという状況が生まれたときに運動は伸びる。
- 闘争の手段は実力闘争が柱であり、法廷闘争というのは補完的材料に過ぎない。法廷闘争の勝敗が闘争の勝敗であると考えてしまうと、司法によって自分たちの戦いが運命づけられてしまう。
マクロな視点での「企業の塀を越えた」港合同の労働運動の形態に関する評価については、他に様々な文献や研究成果があるようであるから、ここでは述べない。私は、この本の内容から、では弁護士はどうあるべきか、ということを考えたかった。
優秀な弁護士であるためには、知識と法技術があればよく、人間性などいらない、団結力も協調性も不必要だという考え方もあろう。また、当然、人格者だからといっていい弁護士であるわけでもない。
しかし、弁護士が労働組合などのような「組織」の事件を担当するに際しては、大きな視野での事案処理方針が必要となり、現場の熱気や臨場感・焦燥感の共有、士気の維持や求心力の確保としての法的手続の使い方の意義などに無関心であってはいけないだろう。上の世代と異なり平成生まれの私は、学生運動にも労働運動にも傾倒したこともなければ、(部活動みたいなものを除いて)運動を引っ張っていくことのしんどさも知らない。そのような者が、弁護士として「運動」にかかわる場合には、上述の単純な弁護士論では太刀打ちできないのであり、自戒を込めて勉強したいと思った。
そして肝心の読書会である。当日は弁護士4人、組合3人が地底旅行に集った。地底旅行の自家製ビールを飲みながら好きなことを好きな態度で好きなだけ語るというコンセプトで臨んだ。しかし、最初の自己紹介の時に、一人の自己紹介に会場から最低3つ質問をする、というルールを採用したところ、全員の紹介が終わるころには2時間が過ぎようとしていた。そのため、自己紹介自体はかなり面白かったが、『企業の塀を越えて』の内容には深く立ち入れなかった。本の全体を読めていない参加者も少なからずいたため、2回目を開催してそこで深く語ることが予定されている。
気持ちが若ければ年齢が若い必要はないため、興味がある方はどなたでもぜひ。