今日は主人の事を書きたいと思います。
書こうかどうか3か月ほど非常に悩んだのですが、私のように辛い思いをする人を増やさないために書くことにしました。、同じ状況になってしまう事もあるので。
以前にも少しブログでふれましたが、主人の死因は「急性心筋梗塞」です。
心臓疾患など持病はなく、前兆が全くないタイプのものでした。
かなり前ですが血圧が少し高い時があり、その時に薬を服用していました。
寒い時期だったので血圧が高くなったのでしょうが、血圧の薬は一度飲むと一生飲まなければならないようです。
めんどくさがり屋の主人は自らは血圧を測らないので、主人の個室の椅子のすぐ横のテーブルに血圧計を置き、強制的に主人に毎日計ってもらっていましたが、いつも正常値でした。
私にとってはかけがえのない大事な宝物のような主人でしたし、身体が資本の仕事をしていますから必要以上に健康管理には気を遣っていました。
亡くなる数日前に2人でランチデートをしたと書きましたが、その日、その血圧の薬をもらいにかかりつけ医の所に行ったのです。
かかりつけ医も念のため、循環器を得意とするというか、循環器系を中心に他の風邪なども見てくださる、医大出身の先生でした。
もちろん血圧も何も問題はありません。
健康診断も毎年行っていますが問題はありません。
人間ドックは2年に1回行っていました。問題ありません。
その病院へ行った2日後に倒れたんです。
前にも書きましたが、その日はあまり眠れなかったようで、ずっと起きているとお腹が減る体質だったので、「玉子サンド食べる」って聞くと「食べたい
」って言ったので作って持っていくと、いつものように「ありがとう、いただきま~す」と言い、食べ終わったら「ごちそう様
」と言い食器を台所まで運んでくれました。
そのあと、町の運動会へ行きました。
私は以前の事故で色んなの骨(鎖骨、肩甲骨、肋骨)を骨折しているので、長時間寒い屋外にいると傷むので運動会は欠席しました。
「行ってきま~す」と言った主人でしたが、実はなんだかいつもと違うような感じがして、後を追ったんです。でももう出かけた後でした。
元気がないという感じではなく、なんとなく影が薄く感じたんです。
主人が運動会へ行っている時、私は何も知らずにさつまいも堀をしていたんです。
しかもブログにも載せようと思って呑気に写真まで撮って・・・。
安納芋を掘りながら、『焼きいもは嫌いやけど、干し芋が好きだから贅沢に安納芋で干いもをいっぱい作ってあげよう』と思い幸せな気分で芋ほりをしていたんです。
思ったよりもいっぱい採れたから。
1時間ちょっとだけ芋ほりをして、自宅に戻り、早めの昼ご飯を食べようと準備していたところ、電話がかかってきたんです。
「ご主人が倒れた早く来て」と・・・。
意味がわからず「えっえっ
倒れた
息はしてるの
」など言っていたと思います。
着の身着のまま車で運動場まで行きました。
状況を聞くと、『綱引き』をした後に気分が悪くなり車の中で休んでいたようです。
その様子を偶然、元レスキュー隊の方で主人とも仲がいい人が発見してくださり、大丈夫かと聞いたところ、
『桂子に病院に連れて行ってもらうので大丈夫』そう言ったそうです。
それが主人の生涯最後の言葉でした。
その言葉を最後に意識を失いました。
「桂子に病院へ連れて行ってもらう」が生涯最後の言葉なんて・・・
でも元レスキュー隊の方ですから、本人は大丈夫と言ってるけど、状況的に危ないと判断し、すぐに119番通報をしてくださり、救急車とドクターヘリが来ました。
私が急いで駆けつけたときには既に主人は車の中でAED処置をされていました。
私が大きな声で呼びかけても、もうすでに意識はありませんでした。
AEDをされ、上下に動く主人の体を見て、頭から血の気が引きました。
大声で主人の名前を何度も何度も呼びました。
ドクターヘリはすでに到着していたので、ドクターが来て処置をしているのですが、なかなかドクターヘリに乗せてくれませんでした。
その時は「なぜ早く大きな病院へ連れて行って
」そう思ったのですが、あとから聞くとその時点で心肺停止状態で戻らなかったそうです。
時間が勝負なので、なんとかこの場所で心臓を戻さないと脳に障害が残るので、今度は主人を救急車の中に運び入れ蘇生処置をしていました。
おそらく30分ほど待ったでしょう。
そしてやっとドクターヘリに乗り、高度救命救急センターへ行きました。
主人の意識はありませんし、私も状況がよくわからないのです。
心臓が戻ったのかどうかもわからない状態でした。
主人は手術室のようなところへ運び込まれ、その前で呆然と立ち尽くす私を看護師さんが待合室に連れて行き、色んな書類を書きました。
状況を聞いても「今はなんとも言えない」
「命に別状はないのですか生きているのですか
」と何度も聞いてもわからない。
そして4時間か5時間待ちました。
主人の時計を自分の腕にはめ、「どうか同じ時をこれからも一緒に刻もう、だからどんな状態でも生きていて」そう何度も何度も祈りながら、主人の帽子をかぶり、果てしなく長い時間を待合室で過ごしました。
そしてやっと心臓外科医の先生に呼ばれました。
画像を見せられ、心臓の3本通っている一番太い冠動脈の根元に血栓が詰まって心臓に血液が流れなくなったようです。
でもカテーテル手術で心臓は回復したとの事。
嬉しかったです。
心臓は治ったんだ、そう思ったのですが、ふと不安になりました。
「脳はどうなんですか、大丈夫なのですか」
そう聞いても、「その件については救急救命の先生からあとでお話があります」と言われ、また1時間ほど待ちました。
そして救急救命の先生に呼ばれました。
何も先生は言わずにただ脳の画像を私に見せました。
それを見ても素人の私には何もわかりません。
先生はしばらくしてこう言いました。
「お辛いでしょうが、心停止時間が長かった為、脳に障害が残ります。かなりダメージを受けていて、画像を見てもわかるように脳にしわがなく腫れています」
「良くても植物状態だという事を覚悟していてください」
そう言われました。
私は「良くても」というのはどういう意味ですかと聞きました。
先生は画像を見せ「脳幹という部分が今はまだ機能している状態だけれども、ダメージも受けているので、この脳幹が機能しなくなると脳死になります」そう言われました。
そして私は「その脳死にならない可能性は何パーセントなのですか
0%なのですか1%でもあるのですか
」
そう聞きました。
すると先生の答えは『1%』でした。
でも前にも書きましたが、私は本当にこの瞬間、一瞬はさすがにショックでしたが、よくよく考えると命はある、いつも一緒だったし、2人が離れ離れになるはずがないから、0%でない限り大丈夫。そして植物状態だったとしても、私と主人の絆なら10年後でも20年後でも必ず私が目覚めさせてあげられる。そう思ったのです。
主人が倒れて6時間後、初めて顔を見ました。
ICUでしたが、眠っているようで、温かく分厚い大好きな主人の手を握り、「私が必ず目覚めさせてあげるからね、聞こえてるやろ、私の声。大丈夫やで、今はゆっくり眠っとき、疲れたやろ、必ず元に戻してあげるから」
少し笑っているような顔に見えました。
呼びかけても反応が全くないので先生に「目覚めないのですか、せめて目を開けたりはできないんですか」と尋ねると
先生は「今日は薬を打っているので目覚めない。」と言われました。
家に戻り、今のこの家を出て、高度救命救急センターは長い間入院できないらしいので、受け入れ病院を探し、街にあるバリアフリーのマンションを探しました。
そしてこれも前にも書きましたが、翌朝夢を見たのです。
白っぽいスーツを着て、全身がはっきりと見えて、私に向かって優しい笑顔で話しかけている主人の姿を。
だからてっきり、昨日は薬で目覚めなかったけど、今目覚めたから私に教えてくれたんだ。と思ったんです。
母にも夢に出てきたから、今日は目覚めてるはずっと大喜びで言いました。
待ちきれず面会時間の1時間以上前にICUの外で待って、主人の元へ小走りで行きましたが、まだ眠っていました。
そして先生がいらっしゃって、悲しそうな顔をしてこう言われました。
「残念ながら脳死になりました」
そのあとは、あまり記憶がありません。
あまりにもショックで涙さえ出なかったような気がします。(記憶が曖昧ですみません)
そして翌日の夕方に亡くなりました。
病院から連絡を受け、急いで駆けつけると主人は待ってくれていました。
そして心臓が止まりました。
今から思えば、主人が入院し、葬儀が終わるまでの一番つらい時はいつかと聞かれたら、間違いなくこう答えます。
「もう助からないとわかってから亡くなるまでの間」
それが一番辛く、全身串刺しのような感じでした。
本当は余命1週間くらいだと言われていたのですが、たった1日でした。
この一番辛く、苦しい地獄のような時間を主人はもしかしたら短くしてくれたのかなと思います。
その次は「納棺」です。
葬儀場に運び込まれ、しばらくは布団に寝かせてもらっているので、触ることも出来るし、添い寝も出来ます。
でも棺の中に入れられるとふれる事さえ出来ません。
とても辛かったです。
そして最後は火葬です。
主人とは最後は「いってらっしゃい」「いってきます」の会話しかできませんでしたが、温かく私が一番大好きな分厚い手を握れたのは、最初に発見し察知し119番通報してくれた方、そして高度救命救急センターの方のおかげだと思います。
この写真はエッセイ・レシピ本「農家の台所から」でご主人の手の写真が欲しいと編集者さんからリクエストがあったので、主人が協力してくれ撮影した写真です。
たくさん撮影したんですけど、実際に使われたのは私と主人の2人の手が写っている写真でした。
そして、撮影した写真を後からじっくり見るとごんぼさんが写りこんでいて、その時はこの写真を見て2人で大笑いしたんですけど、これがごんぼさんと主人の最後のツーショット写真になりました。
脳死になった朝に私の夢に出て来てくれた。
今まで脳死は死なのかどうなのか私にはわかりませんでしたが、その時に夢で逢いに来てくれたのは、おそらく脳死が死だという事かもしれません。
だから命日は本当の命日の前日なのかもしれない・・・と思うようになりました。
だから月命日は今日かもしれません。
どうしてもわからなかったのは、どうして持病もないのに、健康管理もしていたのに、こんなことになってしまったのか、それがどうしてもわかりませんでした。
高度救命救急センターの先生に何度も聞きました。
まず最初におっしゃったのは
「これは交通事故だと思ってください」
「急性心筋梗塞で全く前兆がないケースもあるのです」
「近くに人工心肺装置などを完備している病院があれば救急車で蘇生処置をしながら搬送することが出来たけれども、そういう病院が近辺にない場所だったので、まずは心肺を戻し、ドクターヘリで運ぶしかありませんでした」
実際は救急車の中でも心肺は戻らなかったんですよ。
心臓停止時間は60分以上。
でも主人はまだ若かったし、発見した時点でまだ意識があったという事から、心肺停止時間が長かったけれど諦めずにドクターヘリで高度救命救急センターに搬送してくださったのです。
そして最後に、
直接の原因は「この寒い時期に『綱引き』という思いっきり力を入れ気張る行動」
これがいけなかったようです。
よくお年寄りがトイレで気張って心筋梗塞になるという事を聞きます。
村対抗の運動会で、主人は力自慢だったから、思いっきり頑張ったんでしょうね。
後から聞いた話ですが、一番後ろだったのでヘルメットをかぶっていたそうですが、そのヘルメットが顔の前に落ちても直せないほどふらふらになっていたらしく、それでも必死で綱を離さず引っ張っていたようです。
主人の高校の友達も言っていました。
「○○(←主人の名前)らしいな、がんばりすぎたんやろうな」
これが主人が亡くなった経緯です。
このように長々と詳しく書いた理由は2つあります。
まずは寒い時期、気張ったり、激しい運動は気を付けて。
そして田舎暮らしにはこのようなリスクがあります。
主人がもし街で同じように倒れたなら、今も元気で生きていた事でしょう。
でもこのリスクは2人とも覚悟はしていたんですよ、実は。
こんなには早いとは思いませんでしたが、昔、仲良くなった20代の漁師さんが主人と同じ死因でした。
島だったから間に合わなかったようです。
私と同じような辛さを味わってほしくはないので、あえて書き記しました。
あと、このような悲しい話をしたのにはもう1つ理由があります。
今月の30日は百箇日なのです。
百箇日は「卒哭忌」といい遺族が嘆き悲しむことから卒業する意味もあるんです。
悲しみはなぜか最近増してきているのですが、やはり百箇日を区切りに再度第二の人生に挑戦してみます。
ちょっと最近アカンモードなんですけど、、、。
不眠の件、ご心配をおかけしてすみません💦
精神安定剤は飲んでいませんが、睡眠薬は未だに飲んでいます。
それでも眠れない状態がしばらく続いたんですが・・・
コレ見てくださいよ~
やっとグッスリ眠れた
12時間51分も寝た~
しかも深い眠りが多いです。
負荷睡眠が少し解消されました。
コメントで親身になって私の事を分析してくださった方がいらっしゃって、「予定を入れすぎて疲れがたまっているのではないですか?ゆっくりした時間も必要です」という感じの内容でした。
たしかにそうでした。
家でゆっくり、のんびりすると色々考えてしまい、悲しいので、無理に予定を詰め込み、体が疲れ果ててしまったんですね。
たしかに頭が超覚醒状態でした。
今月は月命日と、百箇日。
あと2つ法要があり、それを乗り切れば、楽しみにしている「ふふ河口湖」が待っている
美しい富士山を眺め、ゆっくりのんびり癒しの時間を作ろうと思います。
長文を読んでいただきありがとうございます。
ブログに助けられています。
想いをそのままぶつけられる場所だから。
そして親身に話を聞いてくださる方がたくさんいてくれるから。
本当にいつもありがとうございます。
今日は1日ゆっくり過ごしたいと思います
桂子
ポチッと押して応援していただけると嬉しいです♪
↓↓↓
Twitterやってます→こちら