今朝4時、
目が醒めると同時に強烈な左半身のてんかん発作が起き、痙攣は2分くらい続いた。
左腕が踊り狂い、首も反り始め、、悶えた。
冷静さを失い、誰かに連絡しようとするが身体言う事を聞かない。
自分ではどうする事も出来ず、
助けも呼べず、
携帯にも触れないほど激しかった。
ベッドの上で硬直して悶え苦しみ、
早く発作が終わるのを祈った。
本当に痙攣中は無力だ。
深呼吸して自分を落ち着かせる事で一杯一杯だ。
意識が飛びそうなのを耐え、
痙攣が思いのほかキツく、
激しく叫んでしまう程だった。
心臓の拍動が激しくなっているのが分かる。
相当な負担がかかっている様だ。
痙攣が終わると当然左腕は肉塊と化し、
全く動かなくなっていた。
左腕が動かなくなるのは4回目だ。
もう泣きそうである。
幸い左足は少し動くので急いで移動してイーケプラ250mgを服用。
寝てるだろう親に一応lineして、
ベッドに入って再び寝ようとしたが
頭が興奮して寝れない。
てんかん発作の恐怖が頭から離れない。
いつまた発作が起きるのか心配で寝れない。。
身体は怠いが睡眠までいかない。
イーケプラをもう1錠追加で飲んだ。
とりあえず横になって休んでいると
段々左腕が動くようになってきた。
ただ以前より麻痺が残存している。
06:30になると携帯のアラームが鳴りそれを左手で止めることができた。
阪大の脳神経外科へ連絡したいが、
9時じゃないと繋がらない。
意識ははっきりしていて歩けるので
9時になったら阪大へ電話しようと考えた。
会社の上司へ連絡して全休か午前休を貰う事を伝え、ベッドで安静にしていた。
7時頃慌てた様子で親が部屋に来て安否確認。
今日は休みなさいと言われる。
朝食を作ってもらい食べ少し落ち着く。
9時になり阪大へ連絡するも担当医がカンファレンスで取り次げないようだ。カンファが終わり次第連絡もらえる事になった。
イーケプラを増量してるがそれでもダメなら、
もうオペしかないんじゃないか?
オペすると左腕の麻痺や透析のリスクが付いてくる。まさに崖っぷちや。
昨日がんセンターの泌尿器科を受診したので
結果を記録として残しておこうと思い、
昨日久しぶりにブログにまとめて書いたものだ。
その翌日にてんかん発作。
俺の脳はどうなってしまうんや。
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2016年2月本退院して2018年10月まで
-hCG 検出限界(寛解2年8ヶ月)
-SCr 6.12 eGFR 10
-脳浮腫拡大(血管腫疑う)
-肺残存腫瘍段々縮小傾向(ネクローシス)
-後腹膜綺麗
-電解質OK
-日中1度高血圧140-/90- 早朝安定
-総コレ、TG、LDLコントロールOK
-左足麻痺、帰宅時浮腫顕著
【最近】
-腎機能が激烈にやばくSCr10くらいから透析かもと言われる。。
-左腕の麻痺が日に日に強くなり常にダンベル200g程度持っている感覚。
-てんかんが先月起きてからイーケプラを増量してみて今のところ落ち着いているが、たまにピクピクと動く時がある。。いつ激しいてんかん発作が起こるか分からない恐怖に怯えながら興奮しないように日々過ごす。
-社会復帰して4ヶ月が過ぎ仕事にも慣れ空き時間にBBCニュースの長文を読んだりしてたら、上司が仕事をありがたい事に増やしまくってくれる。
それでも慣れたらまた時間見つけて長文を読む。
で今日、また新たに違う担当を増やそうと思うんだが、という提案が出た。給料上げてくれたら考えたい。そんな生意気な発言出来るわけなく喜んで承諾。今はここ経理で色んな経験を積もう。最終的には海外事業部に行きたい。
-11/18はTOEICのテストがある。会社払いなので上司には点数バレちゃう。しっかり点取らないと、というプレッシャーがかかる。両耳が高音域難聴なのでリスニングが結構厳しいが、ここ2週間毎日30分のリスニングと25分のレアジョブ英会話を継続中。後は仕事中に長文読み漁る。
【今後】
-脳血管腫のオペは来年の予定だが何もかも未定。
-泌尿器科hCG定期検診は2/18。結構空く。
-11月初旬は台湾人彼女が大阪へ来る。
-年末年始は私が台湾へ行き西暦正月を祝う。
-薬局とか不動産会社とか色々考えることが多い。
-彼女がどうすれば日本で不自由なく働いて給料もらって一緒に住めるのか早く答えを出さないと。
俺も死ぬまで何事にも負けない!!
やりたい事が沢山ある。
ブッチーが俺に伝えてくれた事、
ずっと心に留めて、諦めずに叶えていくよ。
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こんな事を書いていた。
病気って本当に身体的精神的にガクッとくる。
でも戦友が残してくれたメッセージを思い出して、頑張ろうと思う。