【初ブログ】治療実績・自己紹介・病気発覚前後話 | 性腺外胚細胞腫瘍 後腹膜原発 絨毛癌 旅好き 間質性腎炎 てんかん 透析

性腺外胚細胞腫瘍 後腹膜原発 絨毛癌 旅好き 間質性腎炎 てんかん 透析

●2015年2月 28歳発病 現在30歳 性腺外胚細胞腫瘍
後腹膜原発 多発性肺転移 脳転移
●ケモBEP4とTIP2とTIN2とIrN2&脳放射線24Gy定照射
●ケモ入院10ヶ月と後腹膜リンパ節廓清手術
●2017年2月 覚醒下開頭腫瘍摘出術
●2018年2月 薬剤性間質性腎炎と診断

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生まれて初めてブログというものを書き始めます。ブログを書く方・見る方、何卒宜しくお願い申し上げます。たまに誤字脱字があるかもしれません。ご容赦下さい。 ■ブログを書き始める理由■ ①珍病なので治療や精神面において同じ病で悩む方の一助になればと思います。 ②指を動かす事への脳の活性化・思考力・集中力・文章構成力UP。 ■About me■ ◇28歳 胚細胞腫瘍 非セミノーマ 後腹膜原発腫瘍2個 多発性肺転移 頭頂葉付近脳転移(放射線により細胞は死んだ模様) 予後不良群 好頻発年齢20~30歳代 本当に珍しい ◇BEP療法4クール終了&放射線24Gy定照射(マスク作成の仕方にアナログ感が否めない)  TIP療法1クール終了 来週2クール目  毒には毒を。という感じのレジメです。 副作用もTIPからキツクなりました。 ◇腫瘍マーカー陰性化を目指して闘病中 hCGあともうちょっと。。。 ■病気発覚前後の時系列■ ◇12月クリスマス前後:腰痛&謎の発熱 ◇年末年始:普通に海外旅行満喫 ◇1月中旬:腰痛悪化するもジムで筋トレ・ランニング継続 ◇1月下旬:左足に弱い麻痺を感じヘルニアかと思い、整形CLで受診するもレントゲンでは問題 ないと言われる。この頃から寝汗が半端なかった。ジムへも足取りが重い。 ◇2月初旬:左足大腿部内側から脹脛にかけての麻痺が強まり、計画会議にイライラしながら臨 んだ記憶が鮮明にある。 ◇2月10日6am:起床時左足完全に停止。これはヤバイと感じ数分かけてケンケンでリビングへ行き、救急車を呼んだ。その際に上手くケンケン出来ずに転んでしまい左半身が軽いてんかんを起こしたのに気付き少し泣いた。ますますヤバイ、独りだし完全にヤバイ。救急車が到着するまでに死にもの狂いで財布と携帯を鞄に入れ、玄関まで這いずって行き、鍵を開け何とか立って、パジャマ姿で担架で運ばれるのを数秒待った。あの時は寒かった。近隣の日赤へ救急で運ばれ、速攻全身CTを撮られる。何やら医師達5人くらいがざわつき始め、28歳でこれか。。という声が聞こえる。呼吸器内科Drが画像を手に告知に来た。救急車の中でヘルニアの疑いが、と言っていた自分。すでに状況が呑み込めず28歳でこうなるものなのか?しかも進行具合も半端ない。腰痛から癌なんて想像を超えている。脳と肺の画像を見たときは本当に俺の画像なのか?と名前をこっそり確認したほど。。全て受け入れがたかった。そして涙目で母親と彼女に電話した。 俺、やってしまった。死を覚悟した。俺はもう助からない。すぐ死なないにしても緊急入院してケモして弱って死んでいく。人生遣り残した事たくさんあるけど、まぁ楽しんだし、会社で結果も残してきた方じゃないか。。何て弱気になりながら携帯のメモに死ぬまでにやりたい事リストを作成した。あまり思いつかない。。 ①社会人バッパーで世界一周 ②起業 ③スカイダイビング 以上。 少ない。しかし壮大な事である。それから色々あり実家近くの癌専門病院へと転院することに。転院の移動も大変だった。車椅子になってしまったので新幹線の休憩室を手配し、JR社員との連携を図ったりした。入院前日はホテルに泊まり、彼女に介抱されながらトイレやお風呂に入った。この時、左足停止と左腕が若干動かしにくくなっていた。他の部分や脳は正常に働いていたので元気だった。 このホテルでも随分泣いてた気がする。泣き虫である。優しくしてくれる彼女。。でも実は、 泣き虫になったのは随分前である。その真相を知るには昨年にまで遡らなければならない。