今日のお勧め応援企業 -24ページ目

今日のお勧め応援企業

上質の成長を続ける経営者と経営者をつなぐ「FaceAgent経営者応援倶楽部」




傲慢さが全てを奪う

ある日、以前から知っていた一○○億円規模の企業から、「おまえに社長をやらせるから、一緒にやろう」と誘われたんです。会長は自分をスカウトするために、銀座や六本木で毎日毎日、接待攻撃。仙台に連れて行かれて、土地が一二〇坪、建物が七八坪ある旅館のような大きな家を見せられました。「この家をタダで貸すし、ベンツも会社から用意する。どうだ?」って。
そして、思わず口から「はい」って。金と地位に目がくらんでしまったんです。

 その企業の東日本代表取締役と子会社の取締役に就任してからは、ハンバーガーチェーン店を横浜と仙台で展開しました。
 それ以外にもコンビニを三軒、車買取の店一軒、中古買取ブランドショップや中古ファミコンショップ、パチンコ店一軒を所有しました。
 年商二○億円の子会社も持ちました。

 六年ほど短期間で大きなお金を動かす身になって、自分は天狗になっちゃったんですね。
 まるで「ミナミの帝王」の萬田銀次郎さながら。好きなスーツは紫、赤、白。その格好で飲み歩いて、カラオケで歌うのは「ミナミの帝王」のテーマ曲。仙台で付いたあだ名が「ビッグボス」。すっかり銀次郎になりきっていましたね。

 三十歳の時、先物取引を扱う企業から電話があって、
「先物取引は、銀行に預けるよりも儲かりますよ」。
その時は、こちらが損はしないというような説明だった。
「じゃあ、君に預けるよ」と持っている財産のほとんど預けたんです。ところが一年もしないうちに預けたお金がパンク、借金だらけになりました。当然、役員はクビになり、自分の持っているお店も全部売って、それでも二億の借金が残りました。
 デカい家も、家にあったピアノも、何から何まで失ってしまったのです。

 その後、自分の店だったところにふらりと遊びに行ったことがあったんです。
 ところがみんな、手のひらを返したように「何しに来たの?」という感じで、元社長だった私を冷たくあしらうのです。
 一人のパートさんにはこういわれました。
 「全部取られてざまあみろって感じだけど、もっと謙虚に生きなかったからこうなったのよ。」

 今思えば、ありがたい言葉です。でも、幼い頃からずっと貧乏だったので、自分の愚かさに気付かなかったんです。
 そうなってみて初めて自分が傲慢に生きてきたことが分かったんです。
 自分にとっては、初めての挫折だったと思います。

 「自分の管理下におけない、他人に任せっきりのビジネスはしてはいけない」
 この鉄則を、身をもって知るには大きすぎる授業料でした。


つづく

感謝しています。

お知らせ


★9月28日(水)

18時30分より永田町駅徒歩1分 全国町村会館2階で経営者倶楽部パーティー開催します。

是非経営者の方はご参加ください。

会費10,000円



★10月15日(土)16日(日)

夢専中級開催します。

前回の参加者大学生の動画の感想をどうぞ!!





11月11日(金)川畑秀雄著書の出版記念パーティーを100名限定でやります。

感謝しています。



「自分のマニュアル」のある者が成功する
当時、面接人数二万人。 五次面接まであり、面接から採用まで半年かかり、合格者五○名が、地獄の江の島研修を経て、「相模原営業所」に配属になりました。どんな研修かというと、一冊の本を渡されて三日間寝ずに大きな声を張り上げて読み上げて、本を一字一句見ずに言えるようになるまで研修を卒業できませんでした。
二年半働いた頃、FCハンバーガー店オーナーから現在運営中のお店を買ってくれないかと話がありました。


業界用語でテイクオーバー(既存店中古物件)大赤字のお店を中古で二○○万円で手に入れ、大手宅配業社を円満退社しました。
 今度はチェーン店のオーナーになったのです。
 当初、月一九○万円しかなかった売上を三ヶ月後には四○○万円、半年後には六七○万円に伸ばしました。


バブルが終わった頃でも、努力次第で売り上げを大幅に伸ばせる。これは大きな自信になりました。

 私に本当の意味での「接客の原点」を教えてくれたのが、そのハンバーガーチェーン店の創業者である会長の(当時)のお話です。


 まだ、創業して間もない人気も知名度もなかった頃、雨の日にたった三人しかお客様が入らなかったことを居酒屋で愚痴をこぼした時、その居酒屋の女将さんに叱られたそうです。「この雨の中、三人ものお客様がわざわざあなたのお店を選んでくれたんですよ」と。その言葉を聞いた会長は、従業員と大泣きし、その足で店に戻り、ピカピカになるまで掃除をしたそうです。泣きながら、掃除をしながら、「挨拶もしっかりしよう」「時間にも厳しくしよう」「お客様に感動と感謝を与えよう」と心に誓ったそうです。それが、そのハンバーガーチェーンの原点なのです。


 このお話に、私は心が震え、この店で働くことに誇りを持つようになりました。そして、お客様を大切にする気持ちと行動を、この店で身につけたのです。
今にして思えば、これは亡くなった母の導きだったのかもしれない。

 
 どうやって売上を増やしたのか。
 それは、常にお客様の立場を考えることです。たとえば、お客様の待ち時間を楽しくするために、店舗の中に一○○万円もする水槽を置いて熱帯魚を飼いました。まるで水族館です。当然、本部から怒られました。「ウチのチェーン店でこんな魚がいるような店はない!」
 でも、怒られてもお客様の待ち時間を少しでも和らげるためならいいじゃん!と思って譲りませんでした。

 要は本部のマニュアルを超えた自分のマニュアルが必要なんです。本部は「あれはダメ」「これはダメ」という制限が多かった。それはチェーンの理念があるからなんだろうけれど、本当にお客様の心を掴むには、自分らしい信念がないと難しいんです。

 その次はバイクを三台買って、ピザ屋さんのように宅配をしました。郊外の店では、イートインよりテイクアウトの方が多いんです。これも当たりました。

 そんなある日、テイクアウトのお客様に対してご注文の商品を一つ入れ忘れたことがありました。そのお客様はちょっと離れた伊勢原市からいらした方でした。
 入れ忘れた商品の一つを届けに、バイクに乗って伊勢原に向かいました。

 すると、その商品は、入院しているお父様のためにご家族が買いに来られたものだったんです。病院の病室まで届けに行きました。その時に宅配をやって良かったと心から思う言葉を頂きました。
提供しているハンバーガーは手作りなので、味が店によって少しずつ違うんです。こだわっている人は「あのお店のバーガーを食べたい」って思っているんです。お父様も病院の近くのお店じゃなくて、「あなたのお店の、あなたが作ったハンバーガーが食べたかったんですよ」って言ってくれたんです。
 その日の帰りのオートバイで、涙が止まらなかったのです。

 宅配をやって良かったと心から思いました。心を込めて売っている商品を思ってくれるお客様の重みを本当に感じた日でした。

つづく

感謝しています。


お知らせ


★9月28日(水)

18時30分より永田町駅徒歩1分 全国町村会館2階で経営者倶楽部パーティー開催します。

是非経営者の方はご参加ください。

会費10,000円



★10月15日(土)16日(日)

夢専中級開催します。

前回の参加者大学生の動画の感想をどうぞ!!





11月11日(金)川畑秀雄著書の出版記念パーティーを100名限定でやります。

感謝しています。


お客様のために、それが母の言葉
 卒業してからは、仕事した後、夜中にディスコに行って寝ないで遊んでいました。我ながらすごかった。新宿、横浜、六本木、麻布とディスコ三昧。だから、実家にはほとんど帰りませんでした。仕事して、遊んで、寝るのは彼女の家、そんな毎日でした。

 そうして、二十歳で当時付き合っていた彼女と結婚。

 ずっと社長になる夢を持っていましたから、遊んでいても貯金はしていたんです。すでに、五○○万円以上ありました。
最初の起業は、店舗のシャッターに宣伝用フィルムを貼るというビジネスの代理店を始めました。当時アメリカでシャッターメディアという広告方法が流行っていて、それを日本に輸入した会社があったんですね。その話を聞いて、これだということで全財産投資しました。

 時代はちょうどバブルが始まったばかりの頃です。

 「店を閉めた後も二四時間宣伝できますよ!」と営業すると、商店街のオーナーの皆さまは忙しいと話も聞いてくれませんでした。三ヶ月間飛び込みで営業を続けましたが、契約は0件。
 このままではいけない、どうしたらいいのかと頭を抱えている頃に、宮尾すすむさんの「日本の社長」で見たことを思い出しました。
 そこからヒントを得て、営業をすると面白いように契約が取れました。十八歳で起業し、三ヶ月間無給で、半年後には当時月収一七○万円で家賃三○万円ぐらいするマンションに住んでいました。
 でも、もともとは飲食店をやることが希望だったので、自分の会社は従業員に任せて、自分は修行のために、とんかつ屋のチェーン店でアルバイトしていました。そのうち本業よりとんかつ屋の方が楽しくなっていました。
 その当時の店長が、いつもどこかに行ってしまったりふらふらしていたので、原価の計算からアルバイトのシフト表からお店の管理などをよく任されていました。その時に事件が起こりました。

 ある日、なんとその店長が居なくなってしまったのです!

仕方ないということで私がアルバイトマネージャーとして、お店を任されることになり、そうしたら全国のチェーン店で一番のお店になったんです。
 今だから言えるのですが、「サクラ」を店の前に並ばせたり、いろいろな集客のアイディアを駆使して、お客様の興味を惹くようにしたのが成功につながりました。もちろん、従業員の教育も徹底しました。その時教えていたことの一つに、お客様から一日に三回「ありがとう」という言葉を貰いなさい、ということを言っていました。
 
 「ありがとう」という言葉をもらうためには普通の接客ではダメなんですね。

当時はビジネス書だけじゃなく本すら読んでいませんでしたから、持って生まれた商売脳が開花した瞬間だったと思います。

 仕事は順調にいっていたけれど、独立して三年目に、母がガンになっていると知りました。抗がん剤の影響で痩せてきて、髪の毛も抜け始めていました。それまで、ほとんど家に帰ることのなかった私も、それを知って見舞いに行き始めました。
 ちょうど、私と妻の間に子供が生まれていたので、しょっちゅう一緒に連れて行きました。母は初めて孫を見ることを、とても楽しみにしていました。

 もう、一緒にいることのできる時間が少ないと分かり、私は本業の会社もたたみ、アルバイトも止め、母の側にいることを選びました。
 最期の方は、車いすで動けないような状態で、痩せ細っておんぶをしてあげると信じられないほど軽いのです。母の大きな背中を見て育った私は、母の変わりゆく姿を見て涙が止まりませんでした。

 その時、ずっと働き詰めだった母と一緒にいる時間が持てて、やっと少しだけ親孝行ができたかな、と感じました。

 一番思い出深いのは、亡くなる一年前に、母の故郷の福島県へ一緒に行って墓参りしたこと。その時に、母の生い立ちを初めて聞いたのです。
 四歳の時に、本当のお母さんが死んで継母に引き取られて、六歳でリンゴ農園に働きに出されたそうです。その後、十五歳で 紡績工場に行かされて、すごく苦労していたようです。母の生い立ちを死ぬ前に聞いて、「ああ、お母さんってこういう人なんだな」ということがわかりました。
 あの時に聞いた話は、忘れられません。

 亡くなった時には悲しくて、母の葬儀が終わってからも三日間泣きじゃくり、一ヶ月ぐらい何も手がつきませんでした。
 本当に何もしなかったし、できなかった。それぐらい、自分にとって大きな存在だったと初めて気づきました。
 なんとか頑張ろうと頭を切り替えて仕事を探し、その後FCハンバーガー店、店長となり地域NO.1にもなり、もう一度独立を決意。
短期でお金を貯めるため大手宅配業社に就職しました。

 その夜、亡くなった母が枕元に立ったのです。そして、
「秀雄。お客様のために頑張りなさい。私もあの世であなたのことを見守っているから、頑張ってね」って。
 ずっと母に対して、ほとんど親孝行らしいことをしてこなかった。
 それがずっと自分の中に悔いとして残っていたんです。だから母の言葉通り、「お客様に喜ばれることをしよう」と思いました。

つづく

感謝しています。

お知らせ


★9月28日(水)

18時30分より永田町駅徒歩1分 全国町村会館2階で経営者倶楽部パーティー開催します。

是非経営者の方はご参加ください。

会費10,000円



★10月15日(土)16日(日)

夢専中級開催します。

前回の参加者大学生の動画の感想をどうぞ!!




11月11日(金)川畑秀雄著書の出版記念パーティーを100名限定でやります。

感謝しています。