7月1日のお母様の御言葉を読んで、その感想を「真の父に絶縁状を叩きつけた真の母」という投稿で述べました。

「そもそも、お母様は、2番目のお父様の奥様で、いわゆる二次摂理の方であるわけで、「2千年の歴史はひとり娘を探してこられた歴史である。」というのは、調子に乗りすぎているのではないかと思います。」

と書きました。

一般的に言われている2番目の奥様、金明煕女史は、お父様の最初の奥様、崔先吉夫人と離婚をされる前に関係されたこと、それゆえに金明煕女史との婚姻届はされていないということで、いわゆる不倫ということで、2番目のお母様にはなりえないと思われます。

正式に婚姻届をされているのは、崔先吉夫人と現在のお母様、韓鶴子夫人だけと思われます。
他の方たちは、いわゆる不倫や妾という立場の方たちです。

私は、お母様が調子に乗りすぎていると書いてしまいましたが、反統一教会のちゃぬさんのブログを読む中で、ある意味、お母様の主張も妥当性があると思うようになりました。

その説明の前に、お父様(文鮮明)とお母様(韓鶴子)のお母様、洪順愛大母様との接点の可能性、つまり、男女関係が起こりえた可能性があると思われます。現在、お母様の父親とされる韓承運氏に関しては、ちゃぬさんが調べた中で、洪順愛大母様と韓承運氏は、結婚しても夫とは一度も一緒に暮らしていないのに、お母様を妊娠するはずが無いと主張されているように、私もそのように思います。ほんとうに結婚したのかという疑惑もあります。


詳しくは、ちゃぬさんの投稿「騙されるな!洪順愛大母様の証は教会の都合のいいように書き換えられている 」をお読みください。
そのページに、関連記事として、真のお母様(韓鶴子)誕生秘話が、シリーズで書かれていますがリンクされていますのですべて読めます。

なぜ、反統一教会の方の情報を紹介するかというと、とても詳しく調べておられるということ、それらのことは、作り話とはとても思えないこと、関係者の語られた内容の出所もしっかり提示されていますので、私が知りえないことを解りやすく提供していてくれているので、とても助かります。
もちろん、ちゃぬさんは、統一教会の信仰は持たれていませんので、事実のみを追求されながら、御自分の推論を展開されるのですが、神の摂理とか、霊界の作用とかいったことは、当然、ありません。

全部読みきったわけではありませんので、理解不足の面があるかと思いますが、いくつか、ポイントを挙げてみたいと思います。

1.洪順愛大母様と韓承運氏の婚姻届はお二人とも現在の北朝鮮に居たため、現在は存在しません。

2.お母様、韓鶴子夫人の戸籍も存在しません。出生時まもなくして、38度線以北が共産化されたため、洪順愛大母様と韓承運氏の戸籍も存在しないとされています。

3.タイトル「大母様は結婚しても夫とは一度も一緒に暮らしていないのに、お母様を妊娠した 」に

「統一教会の公表では大母様(洪順愛)とお母様(韓鶴子)の父とされる韓承運氏が1934年3月5日に婚姻したとしていますが、1930年代の朝鮮儒教が色濃く残っている時代に長男の嫁にかかわらず、一度もまともに一緒に暮らした形跡がないのです。
今でも韓国では長男の嫁は、絶対的に姑に仕えて、先祖祭祀(チェサ)等で相当忙しい生活を送らなければいけないのです。
1934年といえば併合されてそんなに経っていませんので、その当時の嫁の位置というのは相当低いはずなのに、学校に通って子供も産まず、家に帰らないくらいに新興宗教漬けになっているような状態で結婚生活などできるはずがありません。」

と書かれています。

4.「1939年6月から1941年8月まで別居
 洪順愛(安州郡安州邑信義里の両親の家から、100キロ以上離れた鉄山の聖主教に通い、ほぼ入り浸っていて、ほとんど家にも帰らない状態)
 韓承運(安州郡大尼面龍興里所在の安州私立育英学校の教師を辞職 地元で就職活動)
※洪順愛は実家・安州邑に住み、夫の韓承運は大尼面に住むが距離的に車もない時代、行き来は無理であると思われ、さらに洪順愛は平安北道鉄山郡(100キロ以上離れている距離)にある聖主教に行きっぱなしの状態。夫の実家・大尼面龍興里に長男の嫁としての勤めは一度も果たしていないということは、朝鮮の常識ではありえない。」

と書かれています。

5.「1941年8月から1942年11月ごろまで別居後離婚(教会公表では「お母様(韓鶴子)」を妊娠して7ヶ月で夫と別れたとしている)
 洪順愛(安州郡安州邑信義里の両親の家から、100キロ以上離れた鉄山の聖主教に通い、ほぼ入り浸っていて、ほとんど家にも帰らない状態)
 韓承運(遠く離れた黄海道延白郡牧丹面に単身赴任 1945年11月まで単身赴任)」

と書かれています。


6、お母様が生まれたとされる日は、1943年2月10日で、1945年11月まで、単身赴任している韓承運と洪順愛大母様は、容易に夫婦関係を持つことができないと思われます。

7、洪順愛大母様が、お母様を妊娠され、妊娠7ヶ月のとき夫と別れたと教会発表があるようですが、そもそも、韓承運と洪順愛大母様は、全く関係のない赤の他人ではないかと思ってしまいます。
全く関係のない二人を北にいたので全ての証明書は存在しないということで、何でも捏造できてしまいます。

8.「具体的に父親の名前がどうで、いつ結婚して等の内容は、韓鶴子夫人は身内から聞かされてこなかったということです。「父親が神様」と言っていたくらいですから、父親の存在は秘密にしたのでしょう。」
とも書かれています。

9.洪順愛女史(大母様)の真のお母様の父親についての証しで、

「私と二月の終わりに出会い、三月の終わりに真のお母様がおなかの中に宿りました。」

とありますが、結婚して10年近く子供が居ない夫婦が子供を授かるとき、旦那さんのことの夫婦関係に関し、
「私と二月の終わりに出会い、三月の終わりに真のお母様がおなかの中に宿りました。」
とは言わないでしょう。
明らかに、夫とは違う男性との出会いのことを言っていると思われます。

そもそも、洪順愛女史(大母様)の夫とされた韓承運は、そのとき、遠く離れた任地に単身赴任していたので、洪順愛女史との関係は難しいと思われます。


ちゃぬさんの投稿を読んで、韓承運と洪順愛大母様が若くして結婚されたという話自体、眉唾物と思わざるを得ないと思います。


お母様の父親が、韓承運である可能性は、限りなく低いと言わざるを得ません。

7月1日の講和で、お母様は、

「そこにイ・ホビン牧師の主礼で私が誕生した歴史がある。」と言われていますが、

ちゃぬさんの調べでは、

「最近の教会の公式書籍では、洪順愛大母様と韓承運氏は「1934年3月5日」に結婚したことになっています。以前は1933年と注釈をつけていたものもありますが、最近はこの日付で統一しているようです。しかし、李龍道氏は1933年に亡くなっているため、1934年の結婚式の主礼を勤めるのは無理です。」

と書かれています。

「そういった過去の話は、韓鶴子夫人(お母様)は、ほとんど祖母の趙元模から聞かされたいたようですが、祖母の趙元模は孫の韓鶴子には真実(出生の秘密)を話せない事情があったと推測できます。」

ということで、お母様は、お婆様から聞いたことを信じているということらしいです。

また、お母様は、6歳の2年後に6・25(朝鮮戦争)が起きたとされていますが、

(2003年発行「真の愛の勝利者」姜義弘の証より)に6・25(朝鮮戦争)が起きた時は、お母様の年齢が6歳であったと言われています。

「ここに座っている真の母は6000年ぶりに誕生したひとり娘だ。証拠がある。」と語られた内容には、事実とは異なる内容をお母様が信じているということが解ります。


次には、お母様が言われた「血統転換私は母胎からだ。」、「ひとり娘」(独生女)の根拠について、洪順愛大母様とお父様の男女関係の可能性から見ていきたいと思います。

先にあげたちゃぬさんのブログを読まれれば、解ることですが、一応、整理してみたいと思います。

今回は、お母様の父親とされる韓承運氏は、お母様の本当の父親を隠す為の捏造(でっち上げ、創作)である可能性が限りなく高いということが言えるということを結論としたいと思います。




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