12㎜の管が膿瘍の中心に入れることが出来た。
透視検査の気持ち悪さもあったが、無事に入ったことの安心感は言葉に出来なかった。

これでより膿が抜ける。

あとは未知の合併症が出てこないことを祈る限りだ。
ここ最近体を動かす意欲が、ずっと失われたままだった。無理に痛みを我慢して体を動かしたところで、既に合併症に弄ばれている私の何が変わるのか。
ずっとずっと悲観的にしか考えることしか出来なくなっていた。

少し歩こう。体がよくなるか分からないが、今が頑張るときだろう。

点滴スタンドを引き連れ、病室を出る。
ナースステーションで軽く会釈をしながら、通りすぎ談話室まで。50メートルほどの廊下を息が切れるまで往復する。

病室に戻り、強めの痛み止めをいれて貰う。
今日はまだ痛み止めが効いている気がする。
心の安定が大きいのだろう。

その日の夜は消灯前から眠ってしまっていた。気付くと0時前の深夜。
いつもなら睡眠薬を入れてもらって、寝ていたのに今日は睡眠薬を入れる前に寝ることが出来た。

入院して初めてだ。こんなに違和感なく睡眠に落ちることが出来たのは。

それからはしばらく2時間ほど起きたままになったが、また気付かぬうちに寝てしまっていた。

翌日、再手術から22日目。
鼻管がまた気になりだした。
定期的にくる違和感により、吐き気を催す。でも嗚咽がはしるだけで吐けない。
朝から最悪な気分だ。
鼻管の位置を慎重に調節する。

鼻管を顔に固定するためのテープを外し、もう一度テープと管の位置を自分で変えてみる。
上手くはいかず、くしゃみが出た。

そのくしゃみで鼻から15センチメートルほど抜けてしまった。
抜けたことで楽になったが、このままではまずいだろう。

看護師を呼び、事情を説明する。

優しく胃まで15㎝ほど入れて元の位置に戻された。抜き差しをしたことで余計に気持ち悪さが襲い、1日気持ち悪さが続いた。

自分自身で抜いてしまったことだ。仕方ない。

この日は検査予定なし。1日フリー。
午前中に洗髪を終えて体を熱湯で濡らしたタオルで拭き、少しだがスッキリする。
まだ一人では洗髪もからだ拭きも出来ず、嫁さんに手伝ってもらい相変わらずな姿を見せている。
無様だがもうそれも仕方ない。
思いっきり甘えさせてもらうしかない。

ただ今日は思わぬ一報が入った。
自分の子供のように接してくれていた大叔父が今日亡くなったとのことだった。

幼い頃から釣りや遊びによく連れていってもらい、子供のように可愛がってくれていた大叔父が亡くなった。
その大叔父は自分の嫁さんを我が子の出産時に亡くした。生まれた子供は葛藤の末に自分自身で育てることを諦めて養子に出した。

長い間その人生と選択に苦しんできたが一生涯を閉じた。

私はその大叔父に孫のように大事にしてもらった。
物心ついてからも二人で釣りにいき、結婚も心から祝福してくれた。
ここ数年は痴ほう症になり、私や子供のことも分からなくなってしまっていた。
昨年会いにいったときは話を合わせてくれていたが、私のことは誰なのか分かっていなかっただろう。

長く苦しんだことは忘れてしまったほうが、安らかに過ごせたのかもしれない。
でも忘れてしまうというのは、悲しいことだ。

別れを言いに行きたいが、先になってしまうな。本当に申し訳ない。
母には大叔父に今すぐ会いにいくかを尋ねた。
尋ねるまでもなく、会いにいきたいところだろう。
ただ母は遠方ということもあり私の入院の看護を優先し、退院した後に会いにいくとのことだった。
自分を優先するよりも大叔父との別れに送り出してあげたかった。

なかなか人生とは思う通りにいかないものだ。

翌日、透視検査で管は12㎜から更に太い14㎜の管に変わった。あと胃の造影も一緒に行い、その日から遂に水とお茶は飲んでも良くなったのだった。



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