一向に浮遊出来ない。
一向に良いビジョンが見えない。

延々と燻り続ける暗い感情がより闇へ闇へと導いていく。
未だに抜けない鼻管はもう諦めた。
創感染も今すぐに治まるわけじゃないだろう。
それにプラスされた胃と膵臓の縫合不全。

じゃらじゃらと管や鼻管をぶら下げて、点滴スタンドの持ち手に寄っ掛かり歩く。
毎日毎日歩いて歩いて歩いて、何の効果があるのか。
合併症の予防のはずが、合併症が足されていく。
偶々重なっているだけなのか?
なぜ再手術して、こんな状況になっているのか?
あと何日経てば回復する?

無情にも入院前に退院予定としていた1ヶ月はもう目の前だ。
だが現実は何も終わっていない。
何も食べれない。風呂も入れない。

11日目の日中を暗い気持ちで過ごす。
今日は検査の予定もない。
膵液のタンクは溜まることがなくなったため取り外されて、腹部から入れていた膵臓まで繋がっていたチューブはクランプした。
クランプとはチューブの端にキャップをしただけである。腹部から抜けたわけではない。

その状況を見て、嫁さんがもう少し個室で様子を見るのはどうか?と提案してくる。

少し悩んでしまう。
大部屋に戻ると心労も加わるだろう。
でももう決めたことだ。ほとんど意固地になっている。
あと2日でここは出ると決めた。
看護師に大部屋に移りたいと希望を伝えた。
母が何か言いたそうに見ていたが、退けるように手で遮った。

あと個室での生活は残り2日と決めた以上、楽しみたいとこだがそんな気持ちになれない。

夜になり嫁さんが作ってきてくれた素麺や、生野菜のサラダ、煮物などを3人が食べる。
もちろん私は食べることが出来ない。
でもそれでも一緒の団らんは幸せだ。

子供と嫁が帰り、母と二人になった。
検温や、血圧、血糖値の測定、経腸チューブから流す栄養ジュースの追加、痛み止めの点滴を終えて、少し夜の病棟を二人で歩こうかと提案した。

病室を出て、いつもは混雑する窓口や各外来の受付の前を歩く。
胸を張って歩こうとするが、傍から見ると前屈みになって歩く母親に見守られながら歩く病人だろう。
でもこんな時間だから誰もいない。電気も消えた薄暗い廊下を歩く。

ゆっくりと一階のフロアを一周、途中受付の椅子で休み、また立って歩く。

暗闇の廊下に消えては映る影。平穏な日常はずっと遠ざかったままだ。

翌日、検査もなく過ごす。
少しずつではあるが、創感染した傷口は治っているようだ。
ただ熱は依然として高い。38度を超える時も多々ある。あと体は気だるい。風の症状と腹の痛みが足した症状だ。
その日の夜は少し体調も落ち着いた。

この日は個室で過ごす最終日だ。
また今日も夜が明ける前に起きてきた私と母は
「気分を変えるのに、映画でも見ようか?」と母に提案をした。

何を見るか迷ったあげくに、前から気になっていてずっと見たいと思っていた東野圭吾原作の映画の“人魚の眠る家”を見た。
子供を想う親の深い愛に泣いた。

しばらく余韻に二人で浸っていると、看護師が急に病室に現れて「どうしたの!?気分でも悪い?」と聞かれ、二人して大丈夫ですと答えた。

子供を想うと、まだ強くあろうと足掻く気持ちが沸く。何か目標がないと、自分を見失いそうだ。
しかし現実はまだまだそう甘くはなかった。



-----------------------------------------------------------------------
手術の始まりはこちら→手術のリスク