旦那さんがおじいちゃんに
戦時中の話が聞きたいと言い、
話してもらうことになりました。

おじいちゃんは私の父。
現在78歳で…
終戦時は8歳。
小学校2年生…
親元を離れ、集団疎開先にいました。

疎開先に行くときは
遠足気分でみんなルンルンだったのに
帰れない日が長く続くと
だんだん寂しくなって
夜になるとシクシク泣く子がいたこと。

おじいちゃんといつも一緒にいた子が
よくオネショをして
布団を屋根に干していたこと。

お豆腐屋さんに疎開していたので
大豆を毎日食べていて
大豆は皮をむいて
皮から先に食べ
大豆そのものは2つに割って
カサ増ししてゆっくり味わったこと。

子どもだったからなのか、
忘れてしまっているのか…

おじいちゃんの話からは
焼け野原になった神戸にいた割には
傷ついた兵隊さんを見たとか
ご遺体がたくさんあったとか…
そんな話は出てきませんでした。

むしろ
疎開中の食べ物のエピソードや
農家の軒先に干してある
大豆の搾りかすをこっそりいただいた話など
子どもならではの
豊かな発想や
ドキドキするようなやんちゃをした話が多くて…

へぇーっ!
とか、クスッとか。
そんな感じ。

旦那さんが聞きます。
「玉音放送を聞いた感想は?」

周りの大人たちは
泣いていたが
自分は何も思わなかった。
やっと(疎開先から)家に帰れると思った。

娘が聞きます。
「おじいちゃんにとって戦争とは何ですか?」

わからない。
小さい頃、「戦争があった」というだけで
それを不幸だとか、悲しかったとか
考えたことはない。
今の幸せから考えると
あの頃は大変な世の中だったのかもって
思うけれど
あの時はあの時で
幸せだったんじゃないかな。

では
「おじいちゃんにとって幸せとは何ですか?」

そりゃー、「今」やわ。
家族みんな一緒にいられて、
いろいろあるけど
「今」が一番幸せって思うよ。

たくさんの年月を生きてきた人の言葉って
とても重みがあって
人を安心させてくれるね。

私はおじいちゃんが
戦争の時代を体験していても
それをまるごと幸せだったと
受け止めていることに感動していました。

戦争はNOです。

あの時代…
NOが言えなかった時代に
生きてきた子どもたち…の言葉。
でも、自分たちは
幸せの中にいたんだよって言えるって…
深い言葉だね。
とても勇気をもらいました。

だからね、
これからどんなことがあっても
私たちも
幸せにフォーカスして
生きていくよ。

けれど
今の時代を生きている
私は
声を大にして
NOを叫ぶこともできる。

どんなに小さなことでも
どんなに大きなことでも
嫌なことは嫌だって
ハッキリ言うよ。
今の子どもたちのためにも。
私自身のためにも。

今日、70回目の終戦の日を迎えます。

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