盲導犬  | StayGold. ~いつまでも金ピカのままで~

過去に書いた日記を再掲するシリーズ

2006年10月
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朝。

車のキーが見当たらない。

遅刻を避けるために、電車で行くことにした。

この時点で、私は不機嫌だった。

乗り継いだ後の小田急線での出来事。
盲導犬が乗ってきた。
電車とホームの隙間に主の足が落ちないようにぴったりと寄り添っている
下りとはいえ、東京の朝8時。車内は混んでいる。座る場所がない。
その様子に気付いた赤ん坊を抱えた女性が席を譲ろうとする。

それを制して、大学生らしき女性が席を譲った。
まわりの会社員らしきおっさんどもは見て見ぬふりか。

最近の若い子はねぇ、などと揶揄されることも多い世の中。
若い子にだって常識ある人はたくさんいるし、むしろそういうことを言うやつに限って自分の立場に胡坐をかいている「バカな大人」であることが多い。大人の何が偉いんだ?
そんなことを思いながら、さらに私は不機嫌になっていた。
 

話を戻そう。

少し車内が空いてきたので、私はその人の前に立った。
盲導犬は、主の足元で静かに伏せている。

電車が揺れたはずみで、横にいたサラリーマンが尻尾を踏んだ。
見てた私がイタッて思うほど、磨かれた革靴でしっかり踏んだ。
それでも、鳴きも吠えもせず心穏やかそうに座っている。

それが当たり前なのかも知れないが、初めて電車内での盲導犬を見た私は素直に感動した。

私は声をかけた。
「大変ですね」



「え?あぁ。でも、誰よりもこの子を信頼していますから。なにも心配していません。」



一瞬、私は言葉に詰まった。


その人にとって、電車の中でひっそり文句を言ったり、犬に怒り出したりする「人間」より、冷静な「盲導犬」の方が遥かに信用に値する。そういうことなのだ。
そこには、自分が命を預けている盲導犬を軽々しく扱う人間に対する怒りのニュアンスが込められていたと感じた。
それが正しいかどうかの議論なんてのは無意味だ。
でも、人間として情けないという感情は持っておかないといけない。
「人間」が困っている人の助けにならない。そう思わせてしまっているということに。

車の鍵が見当たらない、混んでいる電車で大学に行かないといけない。
そんなことで不機嫌になるようなメンタルなんて、あのワンちゃんの足元にも及ばない。
「大変ですね」なんて無思慮な言葉で声をかけたことも、反省すべき点だろう。

何十回と言われてきただろうその言葉より、もっと寄り添える言葉があったはずだ。

結局、その人が降りる駅まで話しながら行ってしまった。その数、5駅。
視線は合わないかもしれないが、私の全てを見透かされていたような気がする。
もちろん、講義は遅刻。

でも、講義なんかよりずっとイイ話が聞けた。いい経験もさせていただいた。
大学では学べない大事なこと。頭に詰め込む知識よりも、心に留めておかないといけないことを。

本当に有難うございました。

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この時のことは、今でもはっきりと覚えている。
自分に余裕のないサラリーマン、見て見ぬふりをする大人になんかなるまいとイキがったのと同時に、
些細なことで不機嫌になっている自分の小ささを、盲導犬に教えられた。あのワンちゃんだって踏まれて痛くないはずがない。でも、それより主を守るという遂行しないといけない仕事を優先する姿勢。
それをフォローする余裕すら持ち合わせてない大人たち。それを作り出した日本社会の忙しさ。
未だに海外で働いているのは、そんな忙殺される社会から逃げたいというのもあるのかもしれない。

さすがにあの頃よりは盲導犬を取り巻く環境が改善されていると思うが、気持ちの部分で視覚障害者や盲導犬に寄り添える、そういう世界を切に願う。