【静観塾・32/気功は禅の一種です | ふれあいと癒しの交響曲(名古屋/京都/気功/教室/講習/和気信一郎)

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【静観塾・32/気功は禅の一種です


(一)
 「私が気功を学び深めるに当たって、導き的存在になったのは、第一はマルクスの思考方法である唯物論的弁証法でした。
 そして、第二の人はもう亡くなられているんですが、松原泰道老師という人です。」
 京都も最高気温が10度を切るようになり、芯から冷え込む冬に入った。
 三人の若者たちもコートのポケットに両手を突っ込み、マフラーを巻き、毛糸の帽子をかぶって愚庵にやって来た。
 座敷にはストーブを点けてはいるが、何しろ古い庵なので隙間風が入り、室内の空気は温まらない。
 私たちは体を温める為に湯偉忠さんから習った金剛八式をモチーフに私が創作した〔パワーアップ気功〕をしてから講習に入った。
 「その松原泰道って言う人、どんな人なの?」
 「私がその方を知ったのは五十才台の前半だったと思うんですが、その頃、松原泰道老師は〔南無の会〕という組織の会長をなされていました。」
 麻由の問いに私は応え、話を続けようとしたが、
「ナムの会?」
と、麻由の声が私の口を遮った。
 「南に無いと書いてナムと読むんですが、南無とは、南無阿弥陀仏とか南無妙法蓮華経などというように使われていて、その意味は、帰依しますという意味だそうですよ。
 で、本来、仏教というのは釈尊の教えのことであり、僧の仕事は、その釈尊の教えを世に広めるために説法して廻ることであり、昔なら辻説法と言って街角に立って行なっていたんですが、現代ではそうはいかないので、喫茶店などに人を集めて説法するという具合で、そういう本来の僧の役割を果たそうとする人たちの集まりの名称が〔南無の会〕だったんですね。
 ですから、松原泰道老師自身は臨済宗の僧侶だったんですが、真言宗、天台宗、浄土宗、曹洞宗、浄土真宗、日蓮宗などの宗派の垣根を越えて、更には、仏教、キリスト教などの枠をを越えて、宗教者たちが人々に人生を、生き方を説いていくという活動をなさっていた訳なんですよね。」
 「私、宗教なんて考えたこと無いですねぇ。」
 裕史がしみじみと語った。
 「そうよね。
 クリスマスやって、除夜の鐘聴いて、神社に初詣してって、行事みたいなもんだよね」
 そう言って麻由は笑った
 「結婚式は教会でして、お葬式はお寺のお坊さんに来てもらうという感じですから、やはり宗教というのとはちょっと違っていて、儀式みたいなかんじですよね。」
と、志津も付け加えた。
 「そうなんですよね。
 仏教は葬式仏教と言われているように、葬式や法事の儀式になっていて、本来の人生を説くという役割は少なくなっていて、松原泰道老師は、そこを改革したかったんだろうと思いますよ。」
 「それで、先生はその松原泰道という人から何を学ばれたんですか?」
と、裕史が話を本道に戻した。

(二)
 「松原老師から学んだことは沢山あるんですが、それを一言で言えば〔禅の心、禅の生き方〕ということになるでしょうか。
 松原泰道老師が著された〔禅の名言、禅の生き方〕という本を読み、信じる者は救われるといった、いわゆる宗教ではなく、哲学、思想としての禅の考え方や生き方に感動し、それからですね、私が〔気功は禅の一種です〕とか〔気功は禅である〕などと口にしたり書いたりするようになったのは…。」
 「気功って禅なの?
 禅って何のこと?」
 麻由がきょとんと首を傾げた。
 「禅というのは、釈尊が生きていた頃の古い言葉で、ディヤーナという言葉の音を漢字にした禅那から那という字が無くなった言葉で、心身を統一する、心身を統一させて心を安定させるといったような意味なんだそうですよ。
 ディヤーナの意味を表した漢字を〔定〕と表し、音と意味を合わせて〔禅定〕などと言われていて、言ってみれば、禅とは、心と体を一つにして、心を静めることだという具合に理解しておけばよいのではないかと思いますね。」
 「ふーん。
 私、坐禅しているお坊さんたちを見ていて、我慢して何処まで座りつづけられるかというような修行だと思ってたけど、あの人たち、坐って心を安定させていたんだね。」
 麻由も少しは解ったようだ。
 「先生、〔空の体感〕のところでも感じたんですが、手を当てて体の中の温かくなってくる感覚に没頭すると、気がつくと、雑念というのか、とにかく余分な思いが無くなっていて、終わった後、何か心がゆったりした感じになっていたのを思い出すんですが、あれって、禅をしていたことになるんですか?」
と、志津が深い理解を示した。
 「〔気の舞〕の時の練習も、自分の体の動きだけに集中していたように思うんですが、あれも禅ですよね。」
 裕史が言い、麻由が納得したように裕史の顔をみて頷いていた。
 「そうなんです。
 気功は、〔昇降開合〕や〔馬歩雲手〕のように動いている場合もタントウや気功流坐禅のように動いていない時も、常に気持ちは体内感覚や気の感覚に向いていますので、それはもう完全なる禅と言えるでしょうね。」
 私が言うと、
「気功の三要素と言われている〔調身、調心、調息〕は、それ自体が禅の内容を持っていたんですね。」
と、志津が話し、私が〔気功は禅の一種です〕と言っていた考え方への理解が深まったようであった。


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