アルトゥール・キシェンコ 美しき死神の軌跡 | 銀玉戦士のアトリエ

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アルトゥール・キシェンコというK-1ファイターを覚えているだろうか。

K-1MAX後期にかけて活躍していた選手の一人で、恵まれた体格から繰り出されるボディブローを武器とする選手である。K-1MAX随一とも言われているその攻撃力とは裏腹に、格闘家らしからぬ端整で甘いルックスから『美しい死神』というニックネームが付けられ、女性ファンからの支持も多かった。

ウクライナの貧しい家庭で生まれたキシェンコは、生活のために11歳で格闘技の道を志す。
2006年に行われたK-1MAX東欧予選トーナメントを、当時19歳という年齢でありながら3試合連続KO勝利で制覇すると、本戦であるK-1 WORLD MAXへの切符を手に入れる。
粗削りながらも非凡なカウンターセンスと、肉を斬らせて骨を断つ好戦的なスタイルが持ち味のキシェンコは、183cmの長身と恵まれた体格から、全身の力を使って思いっきり拳を叩き付けて打っていく重いパンチで、MAX本戦でも数々のKO劇を生み出してきた。
またローキックの威力にも定評があり、2007年には韓国のイム・チビンの足をローキックで破壊し、TKO勝利を納めている。

☆キシェンコVS我龍真吾  動画(2008年)☆

若さと豪快さに溢れるキシェンコのスタイルは、同時に危うさも感じられた。
全力でパンチを振っていくのでモーションが大きく、フットワークもぎこちなかった。
その為、ディフェンス力に優れた技巧派の選手を相手にすると、攻めあぐねて相手に翻弄されたり、集中力に欠く場面も度々見られていた。
しかし、K-1MAXで世界の強豪選手を相手に経験を積んでいったキシェンコは、2008年に同大会の世界トーナメントで決勝戦まで勝ち上がる。
決勝の相手は、昨年度に対戦し、無念のKO負けを喫している魔裟斗だった。
キシェンコは因縁の相手にダウンを奪う健闘を見せるが、不可解な判定もあり、延長判定で惜しくも敗れ優勝を逃す。が、若冠22歳にしてK-1MAXで準優勝まで登り詰めた経験は、彼の今後の飛躍を期待されられるものであった。





だが、元々体格が大きいキシェンコは無理な減量を強いられていた。70kgというリミットの中で、筋量を維持していくのが難しくなっていたのだ。
K-1はヘビー級を除けば、70kg以上の階級が今も存在していない。キシェンコはKの舞台に立つためにも、70kgに体重を落とすしか選択肢は無かった。
2010年7月、RISEで日菜太と対戦した時のキシェンコは、昨年とはまるで別人のように小さく見えていた。70kgというリミットに合わせるために、張りのあった筋肉が完全に萎んでしまっていたのだ。
最大の武器であるパワーを失ってしまったキシェンコは、もはや粗削りな並のキックボクサーに過ぎなかった。3R、日菜太の三日月蹴りを鳩尾に喰らったキシェンコは悶絶し、KO負けを宣告された。
その翌月、キシェンコはK-1MAX世界トーナメント予選で、モハメド・カマルと対戦する。この時も萎んだ肉体で試合を行ったキシェンコは、実質階級下のカマルの回転力のある打撃を処理できずに敗北。昨年のファイナリストでありながら、本戦への出場は叶わなかった。

旧K-1が、ギャラ未払いと地上波放送打ち切りにより運営が立ち行かなくなってしまった為に、キシェンコは当時欧州最大のキックボクシング団体だったIt's SHOWTIMEに主戦場を移す。
同時に、減量に苦しんでいたキシェンコも、所属ジムをウクライナのキャプテンオデッサから、オランダのマイクスジムに移る。
バダ・ハリら有名ファイターが所属する大手のジムに移籍した事で、キシェンコは正しい減量法を身に付け、肉体に張りが戻り、粗削りなスタイルの角が徐々に取り除かれていった。
2011年3月、SHOWTIMEのワンマッチでドラゴと対戦したキシェンコは、何とサウスポースタイルで試合を行う。構えをチェンジして日が浅いながらも、リーチを生かしたロングレンジ主体の組み立てで器用に立ち回り、完封勝利を納めた。
2011年9月、キシェンコはIt's SHOWTIME70kg級トーナメントに出場する。
構えをスイッチして戦うスタイルを身に付けたキシェンコは、準々決勝でドラゴと再戦し勝利。続く準決勝でアンディ・サワーと3度目の対戦を行い、3Rで2ノックダウンを奪って決勝へと駒を進める。
決勝の相手は、後にGLORYライト級王者となるロビン・ファン・ロスマレンだった。
身長差のある両者の対戦だったが、ロスマレンの左フックの前にまさかの1RKO負けを喫し、またもトーナメント優勝を逃した。

2012年にキシェンコは韓国資本のK-1グローバル主催の70kg級トーナメントに出場する。準々決勝でクリス・ナギンビを破り、準決勝でアンディ・サワーとの4度目の対決を判定で制するが、決勝でムルテル・グローエンハートとの同門対決でKO負けを喫し、三たびワンデートーナメントの決勝で涙を飲む結末に終わった。
キシェンコは、70kg級では世界トップクラスの実績を残してきた選手だが、トーナメントでは無冠の帝王のポジションを最後まで払拭する事は出来なかった。

その後、キシェンコは階級を上げ、現在では中国のクンルンファイトという興行を中心に活躍を続けている。
彼は今年でもう、30歳を迎えようとしている。童顔の貴公子の面影は消え、ゴリラのようないかつい風貌と肉体を身に纏ったその姿には、歴戦の勇士としての風格が漂っていた。





ファイトスタイルも、ボクシングの幅が格段に広がり、強弱を使い分けてテンポ良く、多角的にパンチが打てるようになっていた。蹴りとのコンビネーションも淀みなくスムーズだ。
ディフェンスも、フットワークで絶えずポジションを変えて相手に的を絞らせず、オランダで磨いたブロッキングによる顔面へのガードも固い。
それでいて攻防分離の傾向には走り過ぎず、時折ヘッドスリップも使い分けてカウンターを狙っていく姿勢もある。
K-1MAX参戦時は荒々しくもぎこちないスタイルだったキシェンコが、いつの間にか世界でも屈指の技巧派キックボクサーへと変貌を遂げていたのだ。
彼はそのスタイルで持って、現在まで
破竹の10連勝を達成している。年齢的にも最も脂が乗っている時期であり、まさに今が全盛期の選手と言っても過言ではないだろう。
節目節目の試合でいつも敗北を喫し、K-1MAX崩壊の憂き目に遭っても、諦めずに地道に強さを追究し続けてきたからこそ、現在のキシェンコがある。

☆2014年のキシェンコの試合動画。得意のボディによるKO。

☆最近行われたキシェンコVSグローエンハート。キシェンコが勝利し、2012年K-1決勝のリベンジに成功した。

もしも旧K-1体制が現在も安泰であり、TV中継が2010年以降も継続して行われ、尚且つ階級もきちんと整備されていたら今頃キシェンコは、10年選手として階級を跨いでK-1で活躍する人気者になっていたかもしれないーーーーふと、そんな未来が頭をよぎった。