おトルコの大統領府が、ウクライナ穀物輸出再開、22日に合意、と発表


この問題、合意はしたけれど残念ながら実施されるか、確かめが必要となる合意です。米国やロシア、そして日本もそうですが「合意文章」なんて所詮絵に描いた餅同様の代物です。

トルコは今回の、ロシアのウクライナ侵略では仲介役として隨分、存在感を発揮しています。NATOの一員でありながらロシアと交渉ができる事が素晴らしいと思います。さすが、元オスマントルコとして、ロシアと対等の調停役を担う度量をお持ちなのでしょうね!

トルコは、国民の99%がイスラム教徒というイスラム教国ですが、昔から日本とは友好的な繋がりがあります。

これは、和歌山県串本町のHPからの引用です。

イラン・イラク戦争が勃発し、48時間後に攻撃が始まるイランには、、取り残された日本人が215名もいたそうです。

この時、トルコが救援機2機をイランに派遣して残された215名の日本人を救出して下さったそうです。

19世紀の終わり、ヨーロッパ列強諸国との不平等条約に苦しんでいたオスマン・トルコ帝国の皇帝アブドゥルハミト2世は、明治維新後トルコと同様の立場にあった日本との平等条約締結の促進と、明治20年の小松宮影仁親王殿下のトルコ訪問に対する返礼等の目的で、フリーゲート艦エルトゥールル号にて、656名を引き連れ東京に3ヶ月滞在した。


帰国時に、和歌山県串本付近で台風に遭遇して、樫野崎の船甲羅岩礁に激突し沈没しました。この遭難事故で、大島島民は不眠不休で救出活動を行い、生存者の救出、介護や殉職者の引き上げや遺体の捜索を行った。日本全国から多くの援助金や救援物資が串本に届けられました。

エルトゥールル号は、船体破損部から流入した海水が機関室に流れ込み大爆発を引き起こした大事故でした。この事故により、オスマン海軍少将以下587名が殉職、生存者僅かに69名という大きな海難事故だったのです。

救出された69名は、神戸市兵庫区和田岬にある検疫所の「消毒院」に入院し手当を受けたそうです。

検疫所の消毒院は、当時海外から神戸港に入ってくる外国人の検疫を行い、コレラ等の感染症患者を収容していた療養所のようです。



串本町の記事では「神戸救護病院」と記載されておりますが、神戸市の資料では



神戸も、ちょっぴりトルコと日本の友好に寄与しましたという、宣伝です。