第二次世界大戦末期に、沖縄県知事を務とめ住民保護に尽力された島田叡元沖縄知事を追悼する「島守の広場」が、生まれ故郷の神戸市須磨区に開設されました。顕彰碑も設けられ、嘉数昇明元沖縄県知事(79)らが除幕。命懸けの活動を忍んだ。


 


島田叡氏は、米軍による沖縄上陸直前の1945年1月、官選知事として赴任。住民の疎開、食料確保に取り組み、民間人を含む20万人以上が犠牲になった地上戦の中で消息を絶たれました。


沖縄県知事として赴任するに至ったキッカケは、佐賀県警察部長在任時に龍泰寺で開かれた「西濠書院」という勉強会で佐々木住職と出会い「葉隠」と「南洲翁遺訓」について学び、その思想に深く感銘を受けたとされる。佐々木住職は、沖縄に赴任する島田氏に葉隠と南洲翁遺訓の2冊を送り、島田氏はこの2冊を携え「敢然と沖縄に赴任する」旨を佐々木住職に書き送っています。


わずかに7ヶ月の沖縄県知事としての赴任期間しかない島田元沖縄県知事が、如何に沖縄人に愛されていたのか、を示す例は


2015年、沖縄県民が沖縄県那覇市の奥武山運動公園に島田叡元沖縄県知事の顕彰碑が、3万人超えの署名と1千万円を越える寄付により設けられた。


また、奥武山公園の多目的グラウンドは島田元知事の出身地である兵庫県神戸市と沖縄の繋がりを思い「兵庫·沖縄友愛グラウンド」と命名されているそうです。


更には、野球を愛した島田氏に因み、秋に開催される沖縄県高等学校野球新人中央大会の優勝校には「島田杯」が授与される事が慣わしとなっているそうです。


沖縄県高校野球連盟の研修旅行においても、夏の高校野球観戦と共に島田元知事の母校を訪問されているそうです。

【以上、ウィキペディアからの引用】


島田氏は、名刹須磨寺の近くで生まれ育たれたそうです。地元で島田氏の功績を語り継ぐ場を求める声が上がり、昨年秋「須磨 島守の会」が発足。会長に就いた須磨寺の小池貫主が参道の土地を提供し、兵庫県が整備に協力されたそうです。


ロシアがウクライナに侵入した時に、私が思い出したのが「島田叡元沖縄県知事」です。


島田叡元沖縄県知事を教えて頂いたのは、久元神戸市長のブログです。



昨年12月には、島田氏の生誕120周年を記念したシンポジウムが神戸で開かれ、沖縄から那覇高校2年生6人が来神して、兵庫高校と共に兵庫県公館で平和へのメッセージを披露されています。



 


ウクライナ侵入が早く収まる事を須磨寺で祈願して参りました。


須磨寺参道にある「島守の広場」


須磨寺に向かって参道を歩いて行くと、参道の右側に「芝生の広場」があります。

参道には、案内板も表示板も何もありません。

目の良い方には、芝生の奥にあるツツジの植え込みの中の「島田元沖縄県知事の顕彰碑」が見えるかも知れません。


公園には「沖縄緋寒桜」も植えられています