

と言うことで、
今日は2本立てです。
「市の教室」で「発達検査」がありました。
前回の検査は「療育手帳の申請」という事で、
きっちりと検査をしなかった事で、
「もうちょっと出来るようになってると思うんだけどな」
と思っていたのですが・・・(^▽^;)
今回は、総合で42点 2歳5ヶ月
という結果でした。
3歳の壁が厚い。。
今回、検査結果の見方というのを説明して頂いた中で、
「±10点の差は、
当日のコンディションにも左右されるので、
気にしなくて良いです。
大体の、推移を見るための点数です。」
と、先生は仰いました。
前回の病院での検査結果が54点だっただけに
やっぱり、ショックでした。
10点以上下がってるって事ですからね。。(^_^;)
でも、推移として考えれば、2歳半前後。
ずっと、ここに留まっている状態です。
詳しく内訳を見ていくと、
私が弱い部分が、我が子も弱いと感じます。
例えば、相互のやりとりが弱い。
先生は、
言葉にしろ、物を介するしろ、
我が子はA→B→C→Dというように広がっていく訳ではなく。
A→Bのやりとりの繰り返しだと仰いました。
実は、このことについては、
具体的にどういう事を表しているのか、
私自身は理解出来ていません。(汗)
理解出来ないという事は、
やはり「してあげられていない事」
なんだろうなと感じます。
なので、関わってあげる質の問題
なんだろうと感じるのです。
私も主人も、他者に対して「強い」関心を持ちません。
お互いを尊重するという形で、
一緒にいることに心地良さを感じます。
なので敢えて、何かをしてあげるという事は
殆どありません。
むしろ、そうされることが
「煩わしい」と感じるタイプの人間だと思います。
それを、我が子にもしているように感じます。
基本的に、
自分がされて嫌なことは他者にしませんし出来ません。
なので、
私が必要と感じる以上の干渉を我が子にしなければならないとき、
私はストレスを感じます。
例えば、
「同じことを繰り返し言う必要がある。」
という事が、私にはかなりの苦痛です。
なので、
「私が親じゃなく、
もっと上手に関わってあげる事が出来る人なら、
我が子は、もっと伸びる筈」
そういう思いをいつも抱えています。
でも、そんな事は言っても仕方がないし、
うだうだと言っていても仕方ない。
普段は、そう思って気持ちを切り替えますが、
時折、やりきれなくなって、
おもいっきり、泣くことがあります。
この日は、母子通園をしていた時期だっただけに、
疲れも溜まっていたのか、
ついつい、泣いてしまいました。σ(^_^;)
他の先生達を見ていても、
いつもニコやかに接してくれている。
そういう精神力もバイタリティーも私にはありません。
そういう部分も、
自分を責める要素になっていたのだと思います。
こういう事で、人様に話しながら泣いたのは、
久々だったかも。
ブツブツと愚痴を聞いてもらうことはあっても、
あまり、泣くことはなかったんですけどね。。
なんだかね、
ホッとする物をお持ちの方だったんですよ。(笑)
甘えてますね。( ´艸`)
ま、タマには良いですよね。
自分が完璧でないことを、
自分自身で責めている私。
生きるのが辛いと感じている人は、
少なからず、そういう面を持っていると思います。
「出来ないこと」は悪いことではないのです。
「努力すべきだ!!」と声高に言える人は、
適度に「手を抜く事」を知っている人です。
だから、そんな言葉に振り回されるのは止めましょう。
ついつい、自分を責めがちですが、
それも止めましょう。
「出来ない自分」を許しましょう。
そこから「出来る事をする」
という事が始まるのだと思います。
普段は、そうして気持ちを切り替えられるんですけどね。
女性は、どうしてもホルモンのバランスが嫌でも狂う。(笑)
「体調が悪いと言って、逃げれば良いのよ」
と仰って頂きました。(笑)
「落ち込んでから、気が付く」
事が殆どなので、
実際には、難しいことですが、
それでも、ホッと出来る一言ですよね。
「そうかぁ、逃げても良いんだぁ。」
そう思う気持ちが余裕を生む事もあります。
発達検査の結果にショックを受けたのと、
泣いてタカが外れたのか、
「家での様子」として、
携帯で撮っていた写真を先生に見せる私。
もう、子どもみたいですよね。(笑)
クレヨンや鉛筆などでは、
殆ど絵を描かない我が子。
それが、絵の具だと、
のびのびと描いていたのが嬉しくて、
写真に納めていました。
あれから一度も用意してあげてないのだけど・・(汗)
プラレールの様子など、
数点の写真を見せて、
雑談していると、
先生が
「解ったわ!!
お母さんは後ろ向きだけど、
後ろを向きながら、後ろに歩いてる。
だから、大丈夫よ!!
ちゃんと前に進んでるから!」
と仰いました。
「え~(笑)
だから、蹴躓いて泣いてるんですかねぇ」
「そうよ~」
「おもろい事言うなぁ」
「あらぁ、面白いのはお母さんよ~」
なんて仰って頂いて、
なんだか、気持ちが軽くなりました。
こういう出会いって、嬉しいですね。
耳障りなことを敢えて
言ってあげるのが優しさだと思っている人がいます。
でもね、
我が子の事で、苦しんでいる親に、
ワザワザ言わなくても良いんですよ。
充分に、考えてる。
充分に、苦しんでいる。
だからね
「当事者じゃないからこそ、見えることもある」
なんて言葉は、必要ないと思うのです。
我が子が発達障害だと言われた時点で、
親は、自分の中の差別意識と向き合います。
まず、親がする事はそれです。
そして、それを克服しながら、
我が子を育てているのです。
だから、そういう
「周りからどう見えるか」
という意見は、必要ないんです。
「そういう人もいる」事は
充分に承知しているのですから。
私たちは、違う世界から、湧いてきたわけではない。
ずっと、日本という国で育ってきたのです、
どういう視線があるか。
どういう意見があるか。
そんな事は、当然、解っているのです。
そして、それを踏まえて、我が子を育てているのです。
差別意識なんて、取るに足らないものです。
解らない人には、解らないのです。
そんな人に、関わりあって、
煩わされるような無駄な時間は、
私にはないのです。
将来は、誰にも解らないのです。
発達障害でないから、
将来、全く問題なく育つ。
訳ではないのです。
発達障害だから、
将来、必ず問題が生じる。
訳でもないのです。
今、出来ないこと。
解らないことを
解るように教えてあげる。
それ以外に、親がすることは何もないのです。
私は、そう思うのです。
ま・・どうすれば解ってくれるのか?
が、一番、難しいところですけどね。。
