つい二日前、五年間住んだLA、ロサンゼルスの家を売って出て行きました。現在はテンポラリーにアパートに間借りをしています。次の住まいを購入するまでの仮の住まいです。おそらく2ヶ月くらいで決まると思います。
短期間の住まいを見つけるのは結構難しくて困っていましたが、とあるお宅(Aさん)に応募したとき「うちは長期間借りてくれる日本人学生さんを置いているので無理です。でも近所のおばあちゃんの住まいが短期の人を探しているので、そちらを紹介します」ということで、ありがたくお受けしました。
おばあちゃんと言うからには腰が曲がって弱々しいかと思いきや、初めて会ったそのホワイトの女性は、小柄ながら腰がピンとのびたシャキッとした女性でした。世界中から来る人々と知り合いになりたいそうで、現在のところ中近東からの学生とか、もちろんアメリカ人の学生とか、はたまた怪しげな自然療法を目指すドクターなる初老の男性とか…。
さて、おばあちゃんというか初老の女性の大家さん曰く、
「以前にAさんからの紹介で日本人の若い女性に二週間住んでもらったことがあった。
でも彼女は英語がまだ得意でなく、コミュニケーションがうまく取れなかった。
だから残念ながら日本人(英語の不得意な)の人を住まわせるのは諦めた」
とのことだそうです。
現在住んでいる人の中にはアメリカ人の、どちらかと言うとシャイなコンピューター専攻の学生さんがいて、日本人女性と知り合いになりたがっているのですが、どうでしょう。皆さん、トライしてみては?
ただし、やはり最低限、快適にコミュニケーションが取れるくらいにはしておいたほうがいいでしょう。
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おっと! 完全に横道に逸れてしまいました。
なぜLAの家を売って引っ越すことにしたか?
理由はいろいろです。
1)家の管理は中々たいへん。
家自体は小さかったのですが、敷地は結構広く、坂の中腹の木々に囲まれた中に家がポツンとある、って感じでした。日本では「金のなる木」として知られた灌木が生い茂り、夏場は週2回くらいは水をやらないとしなびてしまいます。敷地が広いのでホースで水を撒くと、1時間以上かかってしまいました これを五年間やってきたのですが…。そろそろ体力的にも、時間的にもきついなあと思ってました。
2)日本人はおろか、アジア系の人々も周辺にいない。
この家を買った時には周辺の再開発というか、いわゆる”Gentrification"が進み、そのうち日本人や裕福な中国系の人々も住むようになるだろうと思っていました…。
…でも、そうならなかったですね。
やっぱり昔から「こういう所」として知られたところはそのままなのです。
どういうところなのかは想像にお任せします。
3)仕事が見つけにくくなった。
年齢とともにグラフィック・ウェッブデザインの仕事を見つけるのが難しくなってきました。技術の進歩は目まぐるしく、大学でIT専攻の若い人々が次々にジョブマーケットに出てくる状況にはついていけません。
こんなことは昔から言われていて、それなりに対処してきたはずなのですけどね。
とにかく、LAのダウンタウンで勝負するのはもう限界だな、と感じていました。
4)自分の感覚、感じ方が驚くほど変わってきた。
今までの私はLAの古くからの街並み、アーティストやミュージシャンが闊歩する光景、ダウンタウンLAのホームレスがたむろする地域の近くの危なっかしい光景でさえ好きでした。
しかし
まあ、なんという事でしょう!
いつの間にか、いやごく最近、それらが全て、とても危険で危なっかしく、このまま住んで年齢を重ねる場所ではない と認識してしまったのです。
これが恐らく決定的なことの一つです。
5)お金
いやいや、お金も大きなファクターですよ
このままずっとモーゲージ(ホームローン)を払い続けられるか、って事です。
…さて、こうして何とかしなければ、と思っていたのですが。
自分が思い続けていると、それなりに解決策がどこからともなく次々と降って湧いてくる ものです。
ではそれは次回。