緩さの中にある真理だっていう話。
最近、
水曜どうでしょうの、
原付き東日本制覇の旅を、
観ています。
『だるま屋ウイリー事件』で、
有名な、あの伝説的シリーズ。
水曜どうでしょうの何が好きって、
独特の世界観です。
基本的には行き当たりばったり。
にも関わらず、
面白く観られるという、
摩訶不思議な魅力。
まぁ、自分等で同じ様な番組を作るようになって分かるのは、編集の上手さでしょうね。
見せ場と、ある程度泳がせる、
そのメリハリの効き方なんだな
本筋と別の部分で、
ストーリー性を演出するのも、
かなりの構成力だ。
我々の『FANDAY』は、
ある種あの雰囲気がほしい。
と、思っているとこもある。
何が言いたいかっつーと、
全体的には緩く見えつつも、
ちゃんと要所要所で、
山場を作っていく動画の作り方。
もちろん、
テレビ局ではありませんし、
予算も規模も機材も、
全く足元にも及ばないわけですが。
しかしですね、
方向性としちゃあ悪くないって、
そこんとこには自負はある。
相方は才能があると思ってるから。
逆にですね、
手持ちの武器で、
それ以上の価値のあるものを、
作ってこそのクリエイターだと、
私は思っているわけで。
限りあるもの、
一定の制限の中で、
どれだけの成果が出せるか。
そこに、
一種のカタルシスがある。
偉そうに語っていますが、
まだまだ、
これから精進しなければと、
思っております。
何にせよ、
自分達なりの色で、
勝負して、
それが認めてもらえるように。
それが人間なんだろうっていう話。
イスラム国による邦人殺害が起きた。
まぁ、世の中的にも、
関心度が高くて、
色々と物議を醸し、
波紋が広がっているわけですが。
自己責任論ってのは、
確かに一理あると思う。
動機が何であれ、
最悪の事態は想定できたはず。
一方で、
国の対策にも頷ける部分は多い。
非戦争国としての断固たる姿勢に、
今回は責めを負う必要はない。
人道支援を続けることは、
貫いていくべきだと思うし、
それで誰かが犠牲になったとして、
信念は曲げてはならない。
そこには、
他の国にはできない、
日本だからこその、
譲れない闘いがあるから。
あくまでも、
テロに屈しないというのは、
テロリストに意趣返しをする、
ということであってはならない。
それは、
アメリカやロシアと、
ひいては、
戦争はOKとしている、
野蛮な輩どもと、
同じ土俵に立つことに他ならない。
結局、
宗教だ、国の為だなんだと、最もらしい『大義名分』を掲げさえすれば、
人殺しはアリなんだとする上で、
イスラムもアメリカも変わりはナイ。
正義として持つ旗が違うだけ。
己のワガママを押し通すことを目的とした殺戮行為の肯定。
しかし、
日本だけは、
そこを良しとしてはならない。
絶対にだ。
暴力に暴力で抗えば、
必ず悲劇が訪れるのだから。
人間には、
きっともうどうしようもなく、
遺伝子レベルで、
争い、奪い、殺し合う性がある。
それに蓋をして、
偽善ばかりで塗り固めるから、
無理が生ずるし、矛盾が生まれる。
歴史を見れば、
わずか何千年の内に、
人は何度互いに殺し合っただろうか。
その度に、
どれだけの命が、
一瞬で散っていっただろうか。
それでも、
止められない。
要するに、
食う、寝ると同じ。
なくす努力が無駄だとは言わない。
けれども、
そういう人間が捨て去れないことに、
きちんと正対することも、
必要なことなのではなかろうか。
彼等が、危険を冒してまで、
伝えたかったこと。
聞いてほしい、知ってほしいと、
願ったこと。
確かに殺されてしまったことへの、
無念や怒り、悲しみは、
大きいのだとは思うけれども、
そうまでして、
発信したかったことを、
受け止めて、伝えることが、
真の弔いになるのではないか。
人間は愚かで、
救いようがなく、
過ちを繰り返していく。
そういう生き物だ。
だからこそ、
それに蓋をせず、
現実を見よ、と訴えてきた、
彼等のジャーナリズムこそ、
放送するに値することなんだ。
自らの命をもって、
一石を投じた価値にこそ、
目を向け、そして、
忘れてはならないのだろう。
イスラム国による邦人殺害が起きた。
まぁ、世の中的にも、
関心度が高くて、
色々と物議を醸し、
波紋が広がっているわけですが。
自己責任論ってのは、
確かに一理あると思う。
動機が何であれ、
最悪の事態は想定できたはず。
一方で、
国の対策にも頷ける部分は多い。
非戦争国としての断固たる姿勢に、
今回は責めを負う必要はない。
人道支援を続けることは、
貫いていくべきだと思うし、
それで誰かが犠牲になったとして、
信念は曲げてはならない。
そこには、
他の国にはできない、
日本だからこその、
譲れない闘いがあるから。
あくまでも、
テロに屈しないというのは、
テロリストに意趣返しをする、
ということであってはならない。
それは、
アメリカやロシアと、
ひいては、
戦争はOKとしている、
野蛮な輩どもと、
同じ土俵に立つことに他ならない。
結局、
宗教だ、国の為だなんだと、最もらしい『大義名分』を掲げさえすれば、
人殺しはアリなんだとする上で、
イスラムもアメリカも変わりはナイ。
正義として持つ旗が違うだけ。
己のワガママを押し通すことを目的とした殺戮行為の肯定。
しかし、
日本だけは、
そこを良しとしてはならない。
絶対にだ。
暴力に暴力で抗えば、
必ず悲劇が訪れるのだから。
人間には、
きっともうどうしようもなく、
遺伝子レベルで、
争い、奪い、殺し合う性がある。
それに蓋をして、
偽善ばかりで塗り固めるから、
無理が生ずるし、矛盾が生まれる。
歴史を見れば、
わずか何千年の内に、
人は何度互いに殺し合っただろうか。
その度に、
どれだけの命が、
一瞬で散っていっただろうか。
それでも、
止められない。
要するに、
食う、寝ると同じ。
なくす努力が無駄だとは言わない。
けれども、
そういう人間が捨て去れないことに、
きちんと正対することも、
必要なことなのではなかろうか。
彼等が、危険を冒してまで、
伝えたかったこと。
聞いてほしい、知ってほしいと、
願ったこと。
確かに殺されてしまったことへの、
無念や怒り、悲しみは、
大きいのだとは思うけれども、
そうまでして、
発信したかったことを、
受け止めて、伝えることが、
真の弔いになるのではないか。
人間は愚かで、
救いようがなく、
過ちを繰り返していく。
そういう生き物だ。
だからこそ、
それに蓋をせず、
現実を見よ、と訴えてきた、
彼等のジャーナリズムこそ、
放送するに値することなんだ。
自らの命をもって、
一石を投じた価値にこそ、
目を向け、そして、
忘れてはならないのだろう。
要はみんなが思ってるんだっていう話♪
最近、ローリングガールズやら再放送のカイジを観ているわけですが、
共通点がありまして。
テーマソングがブルーハーツなんですよ。
それこそね、
彼らが最前線にいたのは、
俺が赤ん坊の時で、
俺が音楽を聴く頃には、
もう、過去のものとされていた。
しかし、
時代を越え、
ジャンルを越えて、
今まさにまた歌われている。
これこそが、
音楽の力だと思うわけです。
しかも、懐かしいんじゃない。
原点回帰とかでもない。
21世紀に必要とされてる。
現在進行形で。
つまるところ、
そんだけ普遍的なモノが、
ブルーハーツの中には詰め込まれてて。
どこの、誰が、いつ聴いても、
ド真ん中のストライクになる。
これだけスゲーものって、
なかなかナイんだろうなと、
思うんだ。
テレビだって薄型で、
パソコンだってノートになって、
電車は増えて、車はエコで、
何もかもが、20年前、
ブルーハーツが流行ってた時とは、
違うにもかかわらず、だ。
つまるとこ、
何かが便利になったり、
科学が進歩したりしても、
人間そのものの、
根底に抱えてる矛盾や、
やりきれない現実、
溢れかえる欲望、
そういうものは、
何一つ変わっちゃいないんだってこと。
輪廻は、続くわけです。
現に、
人間は今も、
互いに憎み合って、
殺し合い、貶め合い、
奪い合っているし、
どこかでは、
金持ちが卑下た嘲笑を浮かべ、
飢えに苦しむ子どもが泣き、
耐えがたき屈辱に、
沢山の人々が尊い命を自ら絶っている。
結局、
そこが変わらなくては、
いつも堂々巡りなわけで、
きっとそういう世だから、
ブルーハーツが必要とされている。
テロの度に流される、
ジョンレノンのイマジンの様に。。。
きっと、
口には出さないし、出せないけれど、
皆少なからず分かってるんだ。
ロックで、アナーキーで、
パンクで、ピースフルな彼らの、
一見すれば、バカみたいな連中の、
アホみたいな音楽は、
実は、多くの人々の、
ストレートな心の代弁だって。
きっと、
これからも、
ブルーハーツは流れ続ける。
それは、
俺からすれば嬉しい限りだけれど、
反面、
人間が真の意味で分かり合えないことを、
暗に表している。
最近、ローリングガールズやら再放送のカイジを観ているわけですが、
共通点がありまして。
テーマソングがブルーハーツなんですよ。
それこそね、
彼らが最前線にいたのは、
俺が赤ん坊の時で、
俺が音楽を聴く頃には、
もう、過去のものとされていた。
しかし、
時代を越え、
ジャンルを越えて、
今まさにまた歌われている。
これこそが、
音楽の力だと思うわけです。
しかも、懐かしいんじゃない。
原点回帰とかでもない。
21世紀に必要とされてる。
現在進行形で。
つまるところ、
そんだけ普遍的なモノが、
ブルーハーツの中には詰め込まれてて。
どこの、誰が、いつ聴いても、
ド真ん中のストライクになる。
これだけスゲーものって、
なかなかナイんだろうなと、
思うんだ。
テレビだって薄型で、
パソコンだってノートになって、
電車は増えて、車はエコで、
何もかもが、20年前、
ブルーハーツが流行ってた時とは、
違うにもかかわらず、だ。
つまるとこ、
何かが便利になったり、
科学が進歩したりしても、
人間そのものの、
根底に抱えてる矛盾や、
やりきれない現実、
溢れかえる欲望、
そういうものは、
何一つ変わっちゃいないんだってこと。
輪廻は、続くわけです。
現に、
人間は今も、
互いに憎み合って、
殺し合い、貶め合い、
奪い合っているし、
どこかでは、
金持ちが卑下た嘲笑を浮かべ、
飢えに苦しむ子どもが泣き、
耐えがたき屈辱に、
沢山の人々が尊い命を自ら絶っている。
結局、
そこが変わらなくては、
いつも堂々巡りなわけで、
きっとそういう世だから、
ブルーハーツが必要とされている。
テロの度に流される、
ジョンレノンのイマジンの様に。。。
きっと、
口には出さないし、出せないけれど、
皆少なからず分かってるんだ。
ロックで、アナーキーで、
パンクで、ピースフルな彼らの、
一見すれば、バカみたいな連中の、
アホみたいな音楽は、
実は、多くの人々の、
ストレートな心の代弁だって。
きっと、
これからも、
ブルーハーツは流れ続ける。
それは、
俺からすれば嬉しい限りだけれど、
反面、
人間が真の意味で分かり合えないことを、
暗に表している。