ブログネタ:歩きスマホ、規制してほしい? 参加中私はしなくていい派
本質的なところを見抜けないとっていう話。
歩きスマホが危ないのは分かる。
けれど、それを規制するってのは、
ただの対処療法でしかない。
スマホには、万歩計機能がある。
つまり、歩いているか否かを、
きちんと判別することが可能なわけだ。
であれば、
『歩きながらスマホをいじれない』
という、機能を付ければよい。
何でもかんでも禁止とするのは、
実に建設的でない。
それ以上考えなくなるからだ。
思考を止めることは、
最早生きる意味すらもないことと同意だと、俺なんかは思う。
~してはならない。
という、禁止。
確かにある程度の拘束力をもつ。
抑止力として必要不可欠でもある。
しかしながら、人間の脳とは元来、
この『禁止』を受け入れるようにできていないのである。
何故ならば、
禁止が当たり前になるということは、
同時にあらゆる可能性をも否定することになるからだ。
進化、発展、進歩の過程において、
このある種の限界値である『禁止』を設けないからこそ、人類はありとあらゆる物を産み出せた。
禁止は自由で柔軟な発想を、
閉じる方向に働く。
そういう意味で言えば、
歩きスマホを禁止するというのは、
確かに一定の効果は得られるが、
抜本的な解決策にはなり得ない。
それならば、
スマホの機能として元々備わっている万歩計、その利用のベクトルを変えるだけで、恐らく応用ができるであろう。
そういう方法を取るのがベターだと、俺は考える。
人は何でもかんでも、
良いか悪いかで判断するし、
その線引きをしないと、
どちらかに寄せないと、
気が済まない。
何にだって、
使い方一つで良くもなり悪くもなる性質はあるにもかかわらず、
一度悪だと決めてしまうと、
そこから考えることを止める。
何せ、それが一番楽だからだ。
悪いと思っていたヤツが、
実はいいヤツだった。
なんて展開は、
本や映画、
フィクションの非日常にしか、
求めていない。
そうやって、
自分に都合のいいものばかりを、
自分にとって利のあるものだけを、
物事のいい面だけを知っていたいと、
願い、望むだなんて、
それこそ、何てエゴイズムだ。
美しい薔薇には刺がある。
ゲテモノこそ美味。
全てのものには、
そういう二面性があるんだって、
きちんと受け止めてから、
こういう議論はスタートしてほしい。
だから、
世界から戦争が絶えず、
いじめだって、
格差だって、
差別だってなくならないんだ。
きっと、
そういうのが、
『何でもかんでも、禁止にする』
という考え方に顕在化してるんだと、
痛烈に感じます。
