価値観が違うからっていう話。
パリでのテロが報道されて、
世界中で哀悼の意を捧げる様子が、
連日に渡って放送されている。
欧米諸国では、
『テロに屈しない』
という決意表明が、
あちこちから流れてくる。
誠に遺憾であるという気持ちは湧きつつも、
これが次なるテロの抑止力になるかと言えば、恐らくはならないだろう。
テロによって、
妻を亡くした男性が、
『私はあなたを憎まない。憎めば無知なあなたと同じになる。
私に残された息子が幸せに育つことこそが、あなたを辱しめるだろう。』
というような内容の声明を出した。
とても高貴な志であり、
真似できるものではないとは思いながらも、
だがしかし、そう思える輩なら、はなからテロなどしないのではないかと。
きっと、
テロ組織が持つ武器の中には、
欧米諸国産のものも、
多分に含まれているだろう。
誰が悪いのか。
そう考えてしまいがちな、
これらの問題だが、
善悪で捉えている限り、
未来永劫テロはなくならない。
そもそも、
信じている正義が違い、
まして、
相手を認めようという、
寛容な態度など、
双方ともに持ち合わせていない。
イスラム教徒大虐殺が、
近々起きる日が訪れるだろう。
かつて、
ユダヤがそうされたように。
価値観が違えば、
そこに交わる点があるとは、
言いがたいのだから。
一部なんだ、少数なんだ、
そういう、過激な信徒は。
と、
いくら正論を述べようと、
誰も本当の意味での『正しさ』なんて、
求めてやしないのだ。
自分にとって『真実』足り得るものかどうかが、彼らの信じる正義なのだから。
いや、そもそも、
人間自体がそういう生き物なのだろう。
理解しようという気も、
理解されようという気も、
微塵もない。
要は全て、
徹頭徹尾、
己が我が儘を、
貫き通したいが為の、
意地の張り合い。
最早、敵討ちにもならない。
そこには、
同胞を失った悲しみも、
家族を喪った切なさも、
憂いも何も残っていない。
ただただ、
気にくわない相手を、
根絶やしにしてやろうという、
人間が元来持つ、
原始的な殺意衝動しかない。
そして、
その甘美な快感に、
ただただ、酔っているだけで。
ドラッグと同じ。
回数を重ねれば、
一回の効き目は薄くなり、
回数でそれを補い、埋めて、
一回の個数が少ないと感じれば、
一度に摂取する量が増えていく。
戦争やテロという劇薬に、
呑まれていくだけなんだろう。