宮城旅② | 楽々主義

楽々主義

徒然なる日々

終わってない、でも始まっているんだねっていう話。

震災から二年。
あれから、二年。
テレビや色々なメディアで見聞きした、あの災害。
すっかり音沙汰がなくなって、
現状を知る術はかなり減った。
だから、見に行こうと思い立った。

『風化させない、忘れない』
と、言いつつ、わずか二年で報道される機会などほぼなくなった、あの街。
それは、復興の兆しなのか、
それとも、やはり決まりきった、
野次馬根性の廃れなのか、
さながら賞味期限切れなのか。。。
だから、見に行こうと思い立った。

そして、
自分の足で、石巻市を一周した。
分かりやすいほど、
目に見えて明らかに、
ある一線を境に環境が違った。
二年という月日を、
そのままそこに置いてきたような光景、
同時に、
二年という月日で、
変わり果ててしまった風景があった。

言葉が出ませんでした。
いや、そもそも、何も思えなかった。
住む人のいる家はどれも新築で、
その隣には、壁が剥がれ、至る所が傷んだぼろぼろの廃屋。
その隣には、かつて建物があっただろう
跡だけを残し、雑草茂る地面。

打ち捨てられた廃材や瓦礫、
取り壊し途中の作業場とブルドーザー、
『どうにもならなかった』
というリアルを、まざまざと、
ありありと、見せつけていた。

あちこちに点在する、かつてそこが家であったであろう場所には、花瓶と花が、たくさんあった。
今では誰もいない、そこに。
かつてはみんながいた、そこに。

もう戻ることのない時間と、もう戻ることのない場所。
去っていった人、去らざるをえなかった人。残る人、残らざるをえなかった人。

どんな選択にせよ、
そこにある覚悟は、
察して余りあるものだ。

そして、
災害は、
終わってなどいない。

我々が夏休みだと騒いでいる間も、
どこかで政治家が失言している間も、
闘っている人達が、いる。
今も、そして、これからも。

災害は何も、終わっていない。
世間が、如何に報道を終わらせようと、
既成事実にしようと、歴史にしようと、
現在進行形だ。

その事を、痛切に感じた。