毒殺魔の教室 | 楽々主義

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徒然なる日々

そうきましたかっていう話♪

塔山郁さんの『毒殺魔の教室』
を読んだよ。

とある街にある、那由多小学校で起きた“児童毒殺事件”。
小学六年の男子児童が、クラスメートの牛乳に毒を混ぜて殺害した。
その後、同じ毒で自らも服毒自殺を遂げたことで、事件は解決した。
動機という最大の謎を残して。。。
それから三十年、一人の男が、当時のクラスの人物たちを訪ね歩き始めた。
きっかけは櫻井忍という人気ミステリー作家の本が、そのクラスを想起させたからだった。
食い違う証言、見え隠れする複雑な人間関係、調べる程に見えなくなる真相、そして事件当日には、別に仕組まれていた計画があった。。。
複数の思惑と、衝撃の結末とは。

久々に、
「このミス」いってみた♪

やや、表向きの設定が湊さんの『告白』に似た雰囲気ですが、中身はだいぶ違いました。

これは表と裏、
見えてる部分と見えざる部分、
それらが渾然一体となっている、
人間、
その複雑な関係の作用がもたらす、
ミステリーでした。

またも、
子供の残酷さに戦々恐々。。。(>。<)

“人を理解する”
ってことが、
どれだけ難しいのか。

嘘はバレなければ、
嘘ではなく真実になる。
と、思うこと、
それ自体が、
もう既に、
自分に対しての嘘。

事の始まり。
それはスゴく些細な事で、
砂粒みたいなごくごく僅かなもの。

何かを一つ誤魔化す。
内に秘めてみたり、
大袈裟にしてみたり、
八つ当たりしてみたり、
自分を傷つけてみたり、、、
形はそれぞれだ。

しかし、
それがどんな小さくて、
それがどんなに目立たなくても、
一つは一つ。
その傷口をまた、
誤魔化し、隠すために、
さらに人は、
より大きな偽りを作る。

積もり積もる、塵芥は、
やがて、全てを呑んでしまう。

誰もが“見かけ”でしか、
人を見ることはできない。
心は目には映らないのだから。

いくら推し量ろうとも、
決して、分かりはしない。

しかし、
分かろうとしなければ、
知ろうとしなければ、
繋がりは絶えてしまう。

人と人、
その狭間にいる。
それが、人間。