自分という存在の外側に、正解がででーんと存在する、なんてこと、世の中に本当にあるのかしら?
いや、ない。。。と思う今日この頃です。
こんばんは。
高校1年生の気持ちを代弁する家庭教師水田富美子です。
小学校中学校高校の12年間、私たちがずっと慣れ親しんでしまうパターンがあります。
そして、あまりに慣れ親しみすぎて、自分がそのパターンに染まってしまっていることにもなかなか気づかないのです。
そのパターンとは、、、正解に自分を合わせにいくこと。
問題があれば、必ず決まった1つの正解が存在していて、問題を解いて、その正解を見つけられたらマルがついて、見つけられなかったらバツがつく。
自分が考えて出した問題に対する答えが、常に正解か不正解かで判断される。
それが、普通でしょうか?
違和感なんて感じませんか?
そうですよね。
英語や数学や理科や社会や国語にだって、正解は用意されていて、その正解にたどり着くことでしかいい成績はもらえないことが当たり前でした。
でも、そのパターン。。。
大人になった今も引きずっていませんか???
科目の勉強と、人生は違うのに。
科目の勉強に正解があったように、人生にも正解があると思っていませんか?
自分の人生に、AかBかの選択肢が現れたときに、どっちを選べば正解か?を無意識に判断していませんか?
Aを選べば、Aを選んだ結果としての経験が。
Bを選べば、Bを選んだ結果としての経験が。
それぞれ違う経験があるだけなのに。
どちらの経験も、経験すること自体が豊かなことなのに。
どっちかだけが正解で、どっちかは不正解だと思いこんでいませんか?
不正解(だと思いこんでいるほう)を選ぶ人生は、失敗だと勘違いしていませんか?
人生に正解がある、つまりは、人生には失敗があるというのが勘違いです。
その勘違いの前提からスタートしてしまうと、愛する我が子に、失敗してほしくないと思ってしまうのは当然です。正解を選ばせてあげたい、正解がどっちかを教えてあげたいと思ってしまうのは当然です。
それこそ、親の愛でしょう。
でも、勘違いなんです。
選択の違いは、得られる経験の違いなだけなんです。
だからまず、親が、12年間慣れ親しんだ、無意識にこびりついている、正解を求めるパターンに気づいて、そこから自由になりましょう。
そして、そのパターンを今まさに体にしみこませている我が子に、勉強には正解はあるけれど、人生に正解はないからね。あなたが思うように生きればいいよ。いつも見守っているよ!応援しているよ!と言ってあげられたらステキですね♪