こんばんは。

高校1年生の気持ちを代弁する家庭教師水田富美子です。


今日は、8月31日。

夏休み最終日です。


宿題は終わりましたか?

各家庭が平和であることをお祈りしています。


夏が終わって、秋が始まると、私は添乗員の仕事が忙しくなります(^^;)


なので、夏休み限定記事のカテゴリーで数年ぶりに書き始めたこのブログもいったん終了します。

たった16記事でしたが、私の中で色々な気づきを得られることができました。

想いを発信することもできました。

受け取ってくださったみなさま、ありがとうございました。


またいつかお会いしましょう(^^♪

一度できるようになったことは、これから先もずっとできるハズだ…という論理は、ある意味、強引だなと思う今日この頃です。


こんばんは。

高校1年生の気持ちを代弁する家庭教師水田富美子です。


激しくギモンです。。。

高校1年生にもなると、去年受験生だったときに頑張れてたくらいの勉強は、できて当たり前なんでしょうか?

受験という壁がなくても、日常的に同じくらいの勉強への取り組みができて当たり前なんでしょうか?


それが、「ステージが上がる」ということなんでしょうか…?



ちょっと前まで、とっても頑張らないとできなかったことが、普通にできるようになって、そのうち、ラクーにできるようになって、そのラクにできるようになってできた余ったスペースで、また新しいことができるようになる。


と、書くと、一見もっともらしく、理想の成長のような気がします。。。



でも、それは、あくまでも本人の希望ありきだと思います。

勉強が、やりたくてたまらないことなら、結果も出したくてたまらないのなら、いいと思います。



そうではなくて、別に勉強が好きではない。ただ、高校生活を楽しみたいだけの高校1年生なら、そんなに頑張れないし、頑張らなくてもいいのではないかと思ってしまいます。



これが、スポーツの世界でも何でも、自分が好きで好きでしょうがなくて、自分で選んで始めたことなら、何の問題もないと思います。


たとえば、スケートで、トリプルアクセルをとべるようになりたくてなりたくて頑張って、とべるようになった。そして、そのとべる状態を当たり前の状態に完成させたくて、さらに練習を頑張る。


これは、アリだと思います。



でも、高校の勉強は、選んでいません。

高校生活を楽しみたい!というのと、高校の勉強を頑張りたい!というのとでは、全然意味が違います。

勉強がしたくて高校に入ったのではありません(笑)。高校生活を楽しみたくて高校に入ったのです。


入りたい高校は自分で選んだけれど、勉強の難易度は選んでいません。

まさか高校の勉強がこんなに難しいなんてというのが本音だと思います。



だから、激しくギモンです。。。


1学期の授業の様子を聞いても、テストを見ても、成績を見ても、出された夏休みの宿題を見ても。

どうも学校側からの「去年、受験で頑張ったくらいは、今年も頑張って当然やろう???」という無言の圧力を感じることが。。。


そこ、強要していいところなのでしょうか?


私なら、とりあえず授業だけ受けとけばOKな学校を作りそうです(笑)。

宿題だけしっかり提出しとけば、成績は問わないって学校(笑)。


義務教育じゃないから、ムリでしょうか…。



でも、学校には学校の価値観があるので、学校からの無言の圧力は、それはそれとして受け取るとして。

少なくとも親は、学校と一緒になって、勉強分からないとダメ!というところには立たないようにしてもらいたいと切に願います。





8月に入って、夏休みも残り3週間ほど。

休み明けにテストがある人は、そろそろテスト前でもありますね。。。


こんばんは。

高校1年生の気持ちを代弁する家庭教師水田富美子です。



テストで何点を取りたいか?何点を取るために勉強をするのか?

決める基準は、基本的に生徒に任せます。


私は、勉強がキライなら、赤点や留年さえ免れられれば、それでいいんじゃないの派ですが(笑)。



で、本当に多い基準が、「平均点を取りたい」という答え。



別に異論はありません。



ただ、悩むのです。。。


平均点を取りに行くのは逆に難しいです。

テスト問題の難易度にもよります。

周りの生徒の勉強の頑張り具合にも左右されます。

周りの生徒の学力と自分の学力を比べてどうかという話になってしまいます。


そんなあやふやな点数をどうやって取りに行くのだ?ということ。


そして、平均点を取りたいというそもそもの動機。


みんなと同じくらいがいい。

めちゃめちゃよくもなく、めちゃめちゃ悪くもなく。。。


他人と比べて自分の場所を決めたい。


勉強で「他人軸」を覚えてしまうと、のちの人生でも他人軸で生きてしまいがちになるのではないだろうか?


他人軸が悪いわけではないけれど、それでも、自分の人生の方向を周りと比べてどうかという基準で持つクセは持ってほしくないなぁと切に願うわけです。