経過⑤ 入院そして手術 | 腺癌 広汎子宮頸部摘出術 そして母になる。

腺癌 広汎子宮頸部摘出術 そして母になる。

2014年9月末の市の無料検診で要精密検査。
10月末、コルボ&組織診。
11月末、高度異形成判明。
12月18日円錐切除術施行。
12月24日(2度目の結婚記念日)、1a2期の診断。
2015年3月17日、広汎子宮頸部摘出術施行。
10〜12月子宮頸管狭窄に。
2016年妊活OKのお達し出た。

入院時間はお昼頃だったと思いますが、入院手続きを済ませてから病棟案内までは、だいぶ待たされました。

病棟に案内されてからも、まだ部屋が空いてないのか、デイルームで大量の荷物を持って待たされました。

…しかし、ここから猛スピードに変わります。

看護師さんに「荷物はあとで病室に入れておくので、先に麻酔科の先生の説明を聞きに行ってきて下さい。」

病棟からまた下の麻酔科まで降り、先生の説明を受けました。入院時は、大阪の伯母も来てくれました。両親が来る予定でしたが、父が当日高熱が出て急遽来れなくなったためです。(あとでインフルエンザだったことが分かりました。)伯母は、この時まで何の病気かは知りませんでした。

麻酔科の先生から、全身麻酔のみで硬膜外麻酔はなしと聞き、「やったぁ!」と心の中で喜んでました。術後は痛いだろうけど、円錐切除の時の腰椎麻酔が苦手だったので、後の事より目先の事に喜んでました。

病棟に戻るなり、今度は担当医からの術前説明が始まりました。義理の両親もそろそろ到着予定だったのですが、先生の時間もなくあとでまた説明してくれるとのこで、私、母、伯母で説明を聞きました。

事情を全く知らなかった伯母は、父が来れなかったが為に聞くことになり、結果次第では子宮全摘となるという医師の説明に、途中から涙を流してました。私は申し訳ないという気持ちから、つられて泣いてしまいました。

説明が一段落した後、義理の両親が来られ、先生がまた説明してくれました。義理の両親も、どういう状況かあまり知らずに居たのに、気丈に説明を受けてくれました。

私の担当医は、主治医の他に3人の医師が付いてました。入院中、3人の先生が代わる代わる毎日顔を見にきてくれ、寝てる間もありませんでしたが、本当にありがたかったです。

そしてようやく病室に入り、パジャマに着替えると、今度はセンチネルリンパ節生検の検査に地下まで移動です。

先程初めて会った担当医2名から、膣内の両側に2本ずつ注射を射たれ、そのまま画像検査室に移りました。

術前日は2回撮影し、術日当日も1回撮影がありました。画像にリンパ節が写らなかった場合、子宮を含め殆どのリンパ節も取ると聞いた為、撮影中の不安はピークでした。

1回目の撮影後、担当医に写ってたか確認すると、しばらく勿体振らせた後、「写ってるに決まってるよ」と笑って言ってくれた時は、ホントに安心しました。(この担当医は話しやすかったのですが、私が退院した後退職されました。)

前日の2回の撮影が終わり病室に戻ると、今度は病棟看護師の説明と手術室の看護師の説明がありました。

大量の説明書類一式と、手術準備(浣腸、検査等)で物思いに耽る余裕もありませんでした。

そして、手術日を迎えました。担当医に「これから出産するにも命懸けで、夫の協力は不可欠。ご主人にも手術の説明を聞いてほしい。」と言われたので、術中に到着予定だった夫も朝イチでかけつけてくれ、担当医の説明を聞いてくれました。

朝7時頃、最終のリンパ節撮影をし、手術室には朝8時半に入りました。

手術台に上がると、次々と色んな管が入りました。麻酔がかかるまで、手術を承諾してくれた主治医が、ずっと私の手を握って居てくれました。

私はまた目を閉じたまま涙を流し、眠りに落ちました。