JAZZ。一昔は眉間に皺寄せて無言で聴いている人が本当に多かった。いや、冗談抜きで。そう言う諸先輩に色々と聴かせて貰ったのも事実ですが、肉体で感じる田舎の野生児には少々理解出来なかったのも事実でした。まぁ音楽に雰囲気を求めるとすると本音ではどちらも同じなのかもしれませんが。
車の中でテープにダビングしたものを聴いていたら普段JAZZなど聴かない連中に「JAZZはそんな風に聴くものじゃない。ステレオの前に座って良い音で聴くものだ。」なんて言われてから20年も経ってないから一般的には、まだまだ[JAZZイコール小難しい]と言うイメージが有るのも事実でしょう。勿論良い音で聴く事も楽しい事ですが状況設定まで限定するのは、何かしらバーチャルな事でもしたいのかな?
良く言われるのが『JAZZは理解出来ない』と言う言葉。で、そう言った人がJAZZ以外の音楽を『理解』しているとはイマイチ思えなかったりする。私は今まで音楽を『理解』しながら聴いた記憶が無いので、それ自体を『理解』出来ないと言うのが本音ですけど(笑)。このあたりをあまり強く言えないのは、その人達が本当に『理解』しているかもしれないと言う恐怖も有りますしね(爆)。
私の好きな聴き方は言葉にすると難しいけど、一番近い言葉は『感覚』の様な気がします。自分で面白いと思って聴いていただけですから世間や評論家の評価には、それほど心を動かされる事は有りません。送り出す側は送り出した時点で、有る程度は受け取る側のワガママを容認しています。送る側の意識ばかりに気持ちが行ってしまい、現実に聴こえてくる音への反応が鈍くなっているのは、少しも楽しくないと思ってしまうのですが。多くの人達の膨大な知識にはいつも脅かされてはいますけど。
ジャズはアドリブだと言う人がいますが、録音された時点でアドリブのアドリブたる部分はほとんど消えていると思っています。何度も何度も繰り返して同じフレーズが聴けるのにアドリブをしている部分に価値観を求めるのは、きっと何処かの誰かさんが「ジャズはアドリブ」とか言ったせいなんでしょうね。そこに有るフレーズやテンポ、掛け合いに触れずに「ジャズはアドリブ」の一言でお互いの意志が通じるジャズ・ファンは、私から見ると超能力者のようです。もしかしたらJAZZの演奏家たちが事前にリハーサルするところなんて絵にならないのかな?
来年成人式の人が生まれる前の話に成ってしまうけど(涙)、Albert AylerをMilesこそJAZZと思っている友人に貸した時「ナベサダみたいじゃん」と言われました。その頃のナベサダは時流に乗りメディアへの露出も多かった為にコマーシャルな物を悪い音楽だと考える連中には評判が悪かったのでメイッパイ悪口のつもりで言った事は十分伝わってきました。
専門家の評価が高い上にあまり一般的にメジャーではなく、何となく小難しくて知性を感じ・・・なんて部分がクリアーしていないと「正しいJAZZ」として受け入れられなかった時代は、いまだに日本の何処かで生き続けているのかな?と、言って性急に他の音楽との狭間でクロスオーバーしているものを全てJAZZとして語るのも危険な感じがしますけどね。
そう言えば、あの時Aylerを好まなかった彼が、一時期「幸福になる印鑑や花瓶を売っている」と風の噂で聞いたけど、今は何をしているのかな?
Herbie Hancock : Inventions and Dimensions
Herbie Hancock, Piano;
Paul Chambers, Bass;
Willie Bobo, Drums and Timbales;
Osvaldo Martinez, Conga and Bongo;
Recorded on August 30, 1963
BLUE NOTE 4147
タイトルを日本語にすると『発明及び次元』となるのでしょうか?とても小難しいタイトルです。内容も所謂スタンダードなスウィング・ジャズとは少々異なっています。
スタンダードなJAZZと言うよりも少しフリージーな方にシフトした感じは、マクリーンのLet Freedom Ringの頃と近いイメージを私に持たせてくれます。しかしその中で表現されているのは、マクリーンと同様に明らかにJAZZ。
メロディを奏でられる楽器はピアノのみです。(ベースをベースラインを奏でる楽器とみなします)このアルバムはパーカッションが一人増えただけでいわゆるピアノ・トリオとは全く違ったカラーを私たちに見せつけてくれます。