ローレルの木が新葉で溢れてる。 | ここから見に来て。[旧Quem tudo quer, tudo perde.]

ここから見に来て。[旧Quem tudo quer, tudo perde.]

ここは音楽のBlogでした。実際には節操無く何でも有りましたが、アメブロと相性が悪いようなので、他に書く事にしました。出来ればそちらを、よろしくお願いします。

               ローレル大量化計画

庭のローレルから新葉が吹き出るように広がりだした。黄緑の柔らかな葉が初々しい。ここへ越してきた後に母親が植えたものだが、既に30年近くなると思う。一時期は二階の窓から葉が取れるほどの高さが有ったが地上から2m程のところでおじさんが、ぶった切ったので今は3mがせいぜいだろう。

 

母親が亡くなる以前からこのローレルの葉を近所の人達が取りに来たりしていた。Robertoが言うのには「店に売っているローレルの葉を全部使ってもこの樹の葉3枚には勝てない」そうだ。形見とか言う言葉は嫌いだが、母親の思いがローレルの強い香りになっているのだろうかと思ってしまう。

 

父親が「女は家から出るものではない」と言う考え方だったので、庭いじりが母親の数少ない楽しみの一つだったようだ。旧家の出だった母親は職についた事は無かったようだが、高校卒業後は神戸や横浜の親類へ出ていたりして活動的な性格だったようなので、自分で何かを作ることに没頭する事が唯一の楽しみだったのかもしれない。

 

母親は何でも自分で作った。私の記憶の中の母親はオヤツにドーナツを作る後姿やミシンや編み機の前に座る姿ばかりだ。後は庭で草取りをする姿くらいで、家の外での母親の姿はあまり思い出す事が出来ない。しかし母親が亡くなって10年近くなるが、いまだにこの狭い庭には母親の思い出が溢れている。

 

そんな母親が、片親でマジで貧乏な家の次男坊の親父の所へ嫁いだ理由がいまだにわからない。一応、医者をやっていたおじさんの紹介だという事になっているが、ハッキリ言ってもっと楽な生活を選択する事は出来たはずだ。活発だった少女時代の勢いで、人生を賭けた冒険に出てしまったのかもしれない。今になっては誰にもわからない事だが。

              
       Tony Williams     Anthony Williams : Spring