がけっぷちのうつ うつつをぬかしてます -35ページ目

がけっぷちのうつ うつつをぬかしてます

負け犬まっしぐら うつうつだらだら そんなまいにち

疲れたのかな?いろいろ、ぐるぐる。

うーん、しんどい。


氷室さん@神奈川のチケ到着。

今回は、本当に、持っている「運」ってやつを、使ってるのを実感。

最前列とかじゃないけど。ありがたや。


あー、運を使うなら、"B"ORDERLESSのスペシャルシートに…(爆)。

チケットとってないところを応募したから、当たってたら行けたのになー、なんて。


結局どうするのか何も言ってこない友人にイライラ。

めんどくさい。


ふと、あー全部捨てちゃえ!と思う。

私が、その人にとって「どうでもいい人」なら、

その人が、私にとって「どうでもいい人」でもいいんじゃない?


自分だけ、と思うとツラくなる。


結局、ひとりよがり。


ワガママな私。


今日の帰り道、「女の子」になりたかったなーと思った。

今だって、一応の性別は、女子だけど。

もっと、「女の子」扱いされるような感じ。

ま、外見上、どうみても、女子じゃないけどさ。


でも、女子扱いされると、ドキドキする。

経験が乏しいから、すぐ、嬉しくなる。

ドアを開けて、先に通してくれたり、重い荷物持ってくれたり、

そんなことが、嬉しい。


こんなの普通なのかな?

でも、なかなかいないよね、スマートに出来る人。



…今まで、どんだけ、男子!だったんだろうか。切ない。

メディアで亡くなった人の話を聞くと、「私が代わりに死ねばいいのに」

なんて、思うことが多々ある。


そういうのは、やはり病んでるから?うつだから?


○でもあるし、×でもある。

未だに自分の存在価値を見出せていないからこそ、私は、私が死んでもいいんだ。

それは自分自身の絶対的価値というよりも、相手の中での、相対的価値だ。


先日のキャンセルの話で、私の友人(A)は、

Aの友人(B)が行くかどうかで、私と行くことにしていたものに行く、という話だった。


Aは前々からBとそれに行く約束をしていて、Aは私とも行く約束をした。


Aは、Bが行けば行く、Bが行かなければ私と行く、というような内容の返信を私にした。


時系列順では、Bとの約束→私との約束、だから、私との約束をキャンセルするのは仕方ないとも思う。

その時点で、Bと約束したものが、私との約束したものと同日になるという予測は出来ていなかったようだ。


でも、私はAの返信を見た時に、その約束の時系列よりも、

Aの中で、B>私、という存在価値なのだと思った。


・Bが行く=Aも行く=私との約束は当然の如く破棄

・Bが行かない=Aも行かない=なので、私との約束を履行する


つまりAにとって、私との約束は、Bの出方次第なのだ。


なんか、自分の優先順位の度合いが低いのだなと思わされた。


他の人間関係でも、そうだなーと思う。

私は、どの人間関係においても、常に3番手くらいにいて、

最後におはちがまわってくる、と感じられるものが、正直多々ある。


mixiとかつぶやきとか観たり、会ったときの話とかで、そうだったのね、と、後で気づく。

あの人がダメだったから私が誘われたのね、とか。


例えば、披露宴、私は招待されないけど、あの人は招待されたのね、とか。

(これは、正直、貧乏なので、助かることもあるのは事実。)

私は、あなたが最初に誘った人がダメだったから、私を誘ったのね、とか。


他人を巻き込む時、その人が1番で、その人以外に他にない、とする、

というのが当然だと思っている。


約束した時は、きちんと守ろうと努力するとか、

遊ぼう!と約束した時は、目の前にいる人を大切にして、

携帯のメールとか通話は緊急時以外はしない、とか。


もちろん、それが全て、正しく?きちんと出来ているとは思っていない。

人様に対して失礼なことをしたな、と後で猛省することは多々ある。


誰の中でも私が存在しないのなら、消えていいんじゃない?

だって、その人の中での私の位置(地位)は変わらない。

いつでも、「いてもいなくてもいい人」なら、いなくていいよね。


いい人=「どうでもいい人」って置き換えられることがある。

私、いい人じゃないけど、どうでもいい人だ。


宇都宮に行きました。フリンジのライブです。


半休をもらっていたので、時間が有り余り、

餃子でも食べようかと、宇都宮から東武宇都宮までふらふらしたのですが…

わからない!どこにお店あるの?


すぐさま諦めて、チェーンの居酒屋でひとり呑み。


ライブ前にほろ酔いになり、東武でアイライナーブラシを買い、

会場へ…と思いきや、一瞬迷子に。むむむ。


1番目は、THE 宇都宮 ROCK STARS。

見た目の奇抜さに一瞬怯みましたが、とても楽しかったです。

むしろ、前方でファンの方が頭ガンガンふってて、それにビビってしまいました。


2番目はDe+LAX。

秀樹さんが脱退してから、初めて観るライブ。

ギターのLeeさん、好き。髪型真似したい。<そこか?

前観た時も思ったのですが、ステージ衣装、きちんと「衣装」。

魅せてくれるなー、と。


3番目は、fringe tritone。うん、ステージ衣装が、ね。

篤生さんのシャツはやっぱりいい。腕上げづらくないか?と思っちゃったりするけど。


毅さんは、やっぱり襟付きよいですね。

黒?の襟就き半袖、正面にラインストーン?スワロフスキー?つき?キラキラしてました。

足元は見えなかったので、よくわからなかったけど。

リストバンドは、使用するためにつけるのならば仕方ないのかな?

私としては、ない方が、綺麗に見える気がします。

右手を上げた時にすらっと見えるので。あの腕の偉大さを感じる瞬間。


衣装は自分の好き嫌いだけじゃなく、魅せるためのもの!

演奏中の動きや曲構成や照明と同じ、ステージの一部。


アンコールのツアーTシャツは別にいいのだけど…。


実は、昨日のDe+LAXは、個人個人の外見と表現が衣装とすごいあっていたように思えたのです。

顔や動き方や喋り方が、とても衣装とあっていて、いいな、と。

それを観た後だったので、ちょっと考えてしまいました。

(超、余計なお世話で、すみません。)


セトリは、どこかにありますので割愛。覚えてないということは秘密。

このツアーはほぼ同じ曲で固めてるはずです。

その中、新曲「CALL YOUR NAME」?はいいスパイスになってます。

やっぱり「Here」は私にとって宝物。大切な曲です。

「NO WAY HOME」も、長い聴いているけど、色褪せない曲。

「HONEY HEADACHE」は、やっぱりライブで聴きたい曲。


ステージを観て、音を聴いていれば、やっぱり好きだな、と実感します。

目をつぶっていても、そこにいるだけでいいな、と思うし。


昨日は、ライブ中にやたらと演者さん&関係者さんが動く動く。

目の前を行ったり来たり。入り口近くにいたから仕方ないのかもだけど…

あんなにうろうろされたら、ステージに集中出来ないですよ!

せっかくのステージを観ている視界が遮られるのは苦痛です。


フリンジのアンコールのあと、De+LAXも出てきて、セッション、「20th Century Boy」。

最初、Leeさんと宙也さんだけ出てきたのですが、途中で正美さんも。

そして、どこかに消えていたっぽい、まことさんが、客席側からステージへ。

盛り上がりましたね。


ライブ終了は、22:20くらい。はい、新幹線決定。

すぐタクシーに乗ったので、幸いにも見込んでいた時間よりも早いのに乗って、

無事にその日のうちに帰宅。


帰りにipodでフリンジ聴いていたのですが…

改めて、ライブで生きる曲・バンドだな、と思います。

CDで聴けるのは嬉しいですよ。

1stアルバムのRealiverbが出た時、すごい嬉しかったし、

その後も間は長いけど、音源が出ると聞く度に心待ちにして、

発売日に買いに走ってましたから。


でも、ライブとCDを両方味わえるようになってじっくり考えると、

CDだと、とても綺麗な曲になってしまっています。

綺麗にまとまってしまっていて、あのライブでの疾走感、爽快感、

首筋を這うような、ぞくっと来る快感が感じられないのです。


フリンジさん、ぜひとも次は、ライブDVDお願いします!!

ドキュメンタリーも楽しいですが、やっぱりライブですよ!


下北沢ワンマン、DVDにならないかしらー。<まだやってない。

「HERE」は本当に素敵なアルバムなので、このツアーをライブという形でも残して欲しいです。


ファイナル、楽しみにしてます!


しばらくは仕事頑張らなくちゃ。

今週はやたらと忙しく、私のような人間にもたくさんの作業があり、

無心で作業をしていたら1日が終わる、そんな毎日でした。


こういうのがあっているとかかりつけの先生とも話していて、

仕事が無いのが苦痛、という、先生曰く真面目体質、だそうで。

でも、私は結局変われないです。

病気が治る方向に一歩でも進めているなら、いいのだ。

まさに、「これでいいのだ」(アルバム:アニメンティーヌ(クレモンティーヌさん)。