1984年全米5位(カントリーチャートでは1位、アダルトコンテンポラリーチャートでは3位となり、ミリオンセラーを記録)、全英17位。さらに、ベルギーとカナダで1位、スペインとニュージーランドで2位、オランダで3位、オーストリアとオーストラリアで4位となったワールドワイドな大ヒット。ウィリー・ネルソンは、奥さんとロンドンに滞在しているときに、ラジオでフリオ・イグレシアスの曲を聴いてすぐに気に入り、奥さんから「彼とデュエットしたら」とサジェスチョンを受けると、「それはグッドアイディアだ」と思って、マネージャーにフリオと連絡を取るよう指示しました。しかし、そのときネルソンは、フリオが何者なのか、知らなかったとのこと(曰く、「フリオが世界中の誰よりもたくさんレコードを売ってるとは知らなかったよ」)。この曲は、アルバート・ハモンドがハル・デヴィッドと共作したもので、フランク・シナトラに提供したものの断られたため、ハモンドが自身のアルバム "99 Miles From LA" に収録しました。その後、フリオからレコードのプロデュースを依頼されたハモンドが、この曲はフリオにぴったりだと思って紹介したそうです(曰く、「フリオの前でギターを弾きながらこの曲を歌って、これは新曲だよって言ったら、彼はこの曲にほれ込んじゃったんだ。でも、11年前に書いた曲だったんだけど」)。なお、フリオとネルソンのデュオは、1988年にも "Spanish Eyes" をヒットさせています。

 

 

邦題をつけるなら、須らくこういうのをつけるべし。

 

アルバート・ハモンドは2015年のライヴパフォーマンスを。

 

 

当時、アメリカ進出を企てていたフリオ・イグレシアスは、ウィリー・ネルソンとのデュエットに続く第二弾としてこちらの大御所とのデュエットをリリースしました。

 

 

1984年全米19位(アダルトコンテンポラリーチャートでは2位)、スペインで1位、イタリアで3位、オランダで7位、カナダで8位、ベルギーで9位、ニュージーランドで10位。このデュエットは、プロデューサーのリチャード・ペリーのサジェスチョンによるものですが、二人はそれまで面識がなく、↑のPV撮影時に初めて顔を合わせた(レコーディングは別々に行われた)とのこと。

 

なお、当時私は、カントリーも、フリオ・イグレシアスも、ダイアナ・ロスも、あまり好きではなかったので、今回の2曲はできるだけ避けて近づかない(?)ようにしていたのですが、今回久しぶりに聴いてみたら、もはや懐かしさしか感じませんでした(なんであんなに毛嫌いしていたんだろう?)。

 

そして、日本では、フリオ・イグレシアスといえば、なんといってもこの曲。

 

 

1983年オールジャパンポップ20で4位。また、この曲をフィーチャーしたアルバム "Momentos"(邦題は、最初は『愛の瞬間』であったが、その後『黒い瞳のナタリー』に改められた)は、オリコンの洋楽アルバムチャートで13週連続 No.1 となり、80万枚以上売れたとのこと。