昨夜(5月30日)放映のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、主人公北条義時の妻八重(演・新垣結衣)が悲劇的な最後を遂げました。そこで、義時の最初の妻について書いておきます。

 

といっても、義時の最初の妻についてはほとんど史料がなく、わずかに彼の長男泰時の母が「阿波局」という、頼朝の御所に勤めていた官女(女房)であることが『鎌倉年代記』等の史料に記載されているのみで、その氏素性は全くわかっていません(「八重」という名は室町後期以降に成立した伝承によるものと言われている)。ドラマでは、伊東祐親の娘で、源頼朝の子を産んだものの、祐親によってその子を殺され、さらには頼朝との仲を引き裂かれた女性をこの「阿波局」に相当する人物に擬していたわけですが、これはあくまでフィクションであって、史実とは考えにくいところです。

 

もっとも、伊東市にある最誓寺の縁起によると、同寺は北条義時とその妻で伊東祐親の娘である八重姫によって創建されたとされており、『鎌倉殿の13人』の時代考証を担当する坂井孝一氏は、この伝承を基にしたのかは不明ですが、「単なる推論、憶測と退けられるかもしれないが」とことわった上で、義時の最初の妻は八重であったとの説を提唱しています(坂井孝一『鎌倉殿と執権北条氏』(NHK出版・2021年))。

 

坂井氏は、「八重が義時の最初の妻であり、泰時の母であることを積極的に否定する証左はないように思われる」と述べていますが、その立論は、ご自身が認めるように、推論と憶測を重ねるもので、到底左袒し難いと言わざるを得ません。そもそも、ドラマの「八重」に相当する人物が実在したこと自体、確証がないのです。すなわち、頼朝と八重の悲恋は、『平家物語』、『源平盛衰記』、『曽我物語』などの物語類に登場するのみで、同時代の史料にはもちろん、『吾妻鏡』等の後世に編纂された史料にも一切記載されていないとのことです。『吾妻鏡』には、伊東祐親が頼朝を殺そうとしたが、祐親の子祐清から父の害意を知らされたため頼朝が難を逃れたことは記載されていて、両者の間に何らかの深刻なトラブルがあったことが伺われるものの、殺そうとした理由には触れられておらず、果たして頼朝が八重と通じたのか(そもそもそのような女性が存在したのか)は不明というほかありません(もちろん、物語にしか登場しないことのみをもって実在性を否定できるわけではないが、話として面白すぎる以上、眉に唾をつけざるを得ない)。

 

ところで、ドラマでは、頼朝が、義時と八重の子である金剛(後の泰時)は自分に似ていると戯言を言って義時を甚振り、その困惑する様を見て愉しむというパワハラ上司ぶりを遺憾なく(?)発揮していましたが、過去の大河ドラマ『草燃える』では、頼朝(演・石坂浩二)が、義時(演・松平健)の最初の妻(演・松坂慶子)に夜〇いをかけるシーンが描写され、その後に泰時が誕生していて、泰時は実は頼朝の子かもしれないことを暗示する演出となっていました(これって、パワハラ上司どころではないぞ。なお、『草燃える』では、義時の最初の妻は大庭景親の娘という設定だった)。

 

このように、素性が明らかでないことで様々な解釈が成り立ちます。そして、それがリアリティを欠いた、あり得ないものでなければ、単純にドラマとして愉しめば良いのであって、決して史実ではないなどと論うものではないことを最後に強調しておきます(笑)。