1979年全米4位、全英41位。さらに、西ドイツ(当時)、オーストラリア、ニュージーランドで2位。1970年代にヨーロッパ、オーストラリア、日本で大人気だった Suzi Quatro ですが、本国アメリカではパッとせず、Smokie の Chris Norman とデュエットしたこの曲が唯一のトップ10ヒット(それどころか唯一のトップ40ヒット)です。この曲の作者は、Suzi と Smokie を手掛けた Mike Chapman と Nicky Chinn のコンビ(Chinnichap)。Suzi と Chapman が、西ドイツのケルンでアルバム "If You Knew Suzi..." のレコーディングをしていたところ、たまたま Smokie がデュッセルドルフで音楽賞を受賞して祝賀パーティーをするということで二人もそれに出席し、パーティーの余興として Chapman が、Chinn と共作したヒット曲のメドレーを歌っていたところ、そこに Suzi と Chris Norman も加わりました。その際、Norman が Suzi の腰に腕を回しているのを見て、この二人のデュエットというアイディアが浮かび、翌日「Our love is alive」というフレーズを思いつくと一曲にまとめて、Suzi に Norman とデュエットすることを勧めたところ、彼女もそのアイディアを大いに気に入ったので、Chinn とともに仕上げたとのことです。


 

例によって意味不明な邦題・・・当時、日本では、この手のソフトロックを指す呼称として「ソフト&メロウ」なるキャッチフレーズが盛んに使用されていた(ただし、いつのまにか「AOR」に取って代わられた)という時代背景を知らないとなんでこうなるのかわからないだろうな(安易に流行語を使うと、それが廃れた後は悲惨なことになってしまうというお粗末なお話)。

 

Suzi の「ソフト&メロウ」なナンバーをもう1曲。

 

 

1978年全英4位、79年全米45位(イギリスでは "Stumblin' In" よりも前にリリースされたが、アメリカでは "Stumblin' In" のフォローアップシングルとしてリリースされた)。さらに、西ドイツで5位、オーストラリアで10位。Suzi は、70年代前半に「サディスティック・ロックの女王」(笑)としてイギリスで次々と大ヒットを連発したのですが、70年代後半になるとイギリスではパンクの台頭などによりグラムロックの人気が下降線を辿り、彼女もそれまでのような大きなヒットを飛ばせなくなったため、この曲(作者は Chinnichap)によってイメチェンを図ったもので、衣装もそれまでのトレードマークだったレザーのつなぎ(ジャンプスーツ)をやめています(さすがにこの曲には合わないと思ったんだろうな)。その結果は吉と出て、イギリスでは "The Wild One" 以来4年ぶりのトップ10ヒットとなりました(ただし、トップ10ヒットはこれが最後)。それにしても、イギリスではヒットしたとはいえ、日米では大きなヒットにはならなくて(全米トップ40にもオールジャパンポップ20にも登場しなかった)、それほど耳にする機会は多くなかったと思うのですが、なぜか記憶に残っています。

 

 

しかし、このセンスのない邦題はどうにかならないものか(笑)。

 

Smokie はよく知らないのですが、彼らの最大のヒットはこちら。

 

 

1976年全英5位、76年全米25位。さらに、アイルランド、オランダ、西ドイツ、スイス、オーストリア、ノルウェーで1位、スウェーデン、オーストラリア、ニュージーランドでトップ10入りしたワールドワイドな大ヒット(オールジャパンポップ20では14位)。これも作者は Chinnichap(ただし、オリジナルはオーストラリアの New World というグループ)。

 

 

隣に住んでいた片思いの相手(アリス)が引っ越してしまった、という歌なのに、『アリスは恋人』はないやろ(呆)。

 

と、ここまでで終わる予定でしたが、なんだか物足りないので(笑)、"The Wild One" も貼っときます。

 

 

1974年全英7位、西ドイツで5位、オーストラリアで2位、オールジャパンポップ20では3位。やっぱ、スージーの姐御はこうでなくっちゃ!(笑)。なお、1987年に、氷室京介とのデュエットでこの曲をリメイクしているそうです(知らんけど)。