1986年全米1位(ブラックチャート、ホットダンス/クラブチャートも制して「三冠王」となり、ミリオンセラーを記録)、全英6位。さらに、オランダ、ベルギー、西ドイツ、スイス、オーストリア、ノルウェー、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドでトップ10入り。この曲は、Prince が Mazarati (Revolution の元ベーシスト BrownMark が結成したファンクバンド)から依頼を受けて彼らのデビューアルバム用に提供したもので、もともとはブルージーなものだったのを彼らが大幅に改変して現在のようなファンクナンバーにしたところ、そのデモテープを聴いた殿下が「おれによこせ」と言って取り戻してしまった・・・って、まるでジャイアンやな(笑)。BrownMark は、Prince から、この曲を返す代わりにソングライターとしてクレジットされることを約束してもらったのですが、その約束は守られなかったとのこと(ますますジャイアンだ(笑)。BrownMark 曰く「悪くない取引のように思えたのさ。バンドの連中にバッドニュースを知らせたら、みんなかなり腹を立ててたな。おれは結局、一銭も払ってもらえなかったんだ。全く割に合わない話さ。で、そのあとすぐにバンド(Revolution)を辞めたんだ。プリンスからはひどい扱いを受けたわけだけど、気にしちゃいないよ。山のようにチャンスをもらったからね。なので、良かったことに目を向けるよ」)。なお、レコード会社はこの曲のシングルカットを渋ったそうですが、見事100万枚を超えるセールスを達成し(このころはミリオンセラーとなるシングルは激減しており、その中でこの曲は数少ない1枚となった)、87年のグラミー賞で最優秀R&Bボーカルパフォーマンス賞(デュオ/グループ)を受賞しました。ちなみに、この曲の下で2位に着けたのは Bangles の "Manic Monday" で、Prince の作品がワンツーフィニッシュを決めたわけです。

 

 

Prince が Mazarati に提供したデモはこちら。

 

 

そして、Mazarati のバージョン。

 

 

2004年にロックの殿堂入りしたときの記念セレモニーでのパフォーマンスです。

 

 

最後は有名なカバー。

 

 

Tom Jones がラスベガスでのショーでこの曲を歌っているのをテレビで見た Art Of Noise が彼を引っ張り出したそうで、1988年にリリースされてイギリスでは5位に昇り、オリジナルを上回る成績となりました(アメリカでは31位)。