1983年、アルバム "Kilroy Was Here" の先行シングルとしてリリースされ(もともとファーストシングルには "Don't Let It End" が予定されていたのだが、レコード会社のサジェスチョンにより土壇場でこの曲に変更されたとのこと)、全米3位(Cash Box では1位となり、ミリオンセラー)、カナダで1位、スイスで4位、西ドイツで8位、日本ではオリコンの洋楽チャートとオールジャパンポップ20で1位。インパクトがある曲ですが、とりわけ日本のファンにとっては「笑撃」のナンバーでした。Dennis DeYoung が、前年にツアーで来日した際、自動車工場でロボットが稼働する様子をテレビで見たことからインスピレーションを得て作ったとのことで、日本語の歌詞(「ドモ、アリガト」(笑))が入っていたり、タイトルも「Robot」ではなく「Roboto」と、日本語の「ロボット」の発音に合わせたものとなっています。別におちょくっているわけではないのですが、当時はやはり複雑な思いで聴いていました。
アルバム "Kilroy Was Here" も全米3位の大ヒット(ミリオンセラー)を記録したのですが、このアルバムにより音楽の方向性を巡るバンド内の亀裂が表面化し、Styx は84年から90年まで活動を停止することとなります。おそらく85年頃に聴いたラジオの番組で、人気が凋落したアーティストにとって「致命傷」となった曲ランキング(どんな企画やねん)というのをやっていたのですが、"Mr. Roboto" が堂々1位となったのには禿同でした(笑)。こうした評価はアメリカでも同じようで、この曲とアルバムによって古くからのファンが離れてしまい、そうしたファンの一部からは、Styx が落ち目となるきっかけ(英語では「jumping the shark」という)となったのがこの曲だと、いわば戦犯扱いされているそうです(これに対して、新しいファンの間ではこの曲は人気があるようで、James Young は、この曲のおかげで「おれたちはポップカルチャーの一部になってるんだ」と述べている)。なお、「致命傷」といってもあくまで事実上解散状態にあった1985年ごろの時点でそういっていたものであって、1990年に活動を再開した後にリリースした "Show Me The Way" が翌年全米3位の大ヒットとなって、復活を遂げていることはご存じのとおり。
1999年、Dennis DeYoung は、病気でツアーに参加できないことを理由にクビになり(ツアーをしないと契約違反になるという事情があった)、ソロに転向します。そして、「Styx」の名称を使用する権利があることを主張してバンドを訴え、和解により「the music of Styx」あるいは「formerly of Styx」というフレーズの形式で使用することを認められました。もちろん、この曲はそうした彼のショーで定番となっています。
また、Styx は、1983年の「Kilroy Was Here」ツアー後、ライヴでこの曲を全編通してフルで演奏することはなく、"Heavy Metal Poisoning" とのメドレーで一部を演奏することがある程度でしたが、2018年以降フルでの演奏を「解禁」しています。
ちゃんと日本語も表示してくれてるな(笑)。
この際、"Don't Let It End" も。
"Mr. Roboto" のフォローアップシングルとしてリリースされ、1983年全米6位。

