1979年全米7位、オランダとベルギーで1位、カナダで2位。ご存じ、Cheap Trick のブレイクスルーアルバム "Cheap Trick At Budokan" からシングルカットされてミリオンセラーを記録した大ヒット。Robin Zander が「Didn't I, didn't I, didn't I see you cryin'」と歌うのに続けてオーディエンスの女子たちが「クライン、クライン、クライン」と合唱(というか連呼)しているのが微笑ましいですね(メンバーは予想外の出来事に驚いたらしい)。Cheap Trick はこの曲を演奏する予定はなかったのですが、日本のレコード会社のディレクターから、日本でヒットした曲なので演ってほしいと言われて急遽セトリに入れたとのことです。

 

もともとは彼らのセカンドアルバム "In Color" からの第一弾シングルとしてリリース。

 

 

件の「Didn't I, didn't I, didn't I see you cryin'」に続く「cryin'」はスタジオバージョンではエコーとなってるな。このスタジオバージョンはアメリカではチャートインすら果たせなかったのに対し、日本ではオリコンの洋楽チャートで1位となりました・・・ということなんだけど、そんなにヒットしたかな? 当時の私にとって最大の情報源だったラジオでこのバージョンを聴いた憶えはなくて(毎週聴いていた文化放送の『オールジャパン・ポップ20』(パーソナリティはせんだみつお(笑))にもチャートインしたという記憶はなかったのでググったら、正確な記録はないが最高位はたぶん26位でトップ20には届かなかった(なので番組ではオンエアされていない)とのこと)、最初に聴いた Cheap Trick のナンバーは "Clock Strikes Ten"(と思うけど、"Surrender" だったような気もする・・・時系列的には間違いなく "Clock Strikes Ten" なんだけど、もはや記憶が混濁(笑)していて判然としない。なお、"I Want You To Want Me" を知ったのはライヴバージョンがヒットしてから)。前回書いたように、このバンドは『MUSIC LIFE』をはじめとする音楽雑誌に取り上げられることで人気が高まり、それによってレコードの売上が伸びたのだと思うのですが、ラジオへの浸透には若干時間がかかったのでしょうか。また、現在では、都会にいても田舎にいてもネットを通じて瞬時にして世界中の情報を入手できてその間に時差はほとんどなくなっているのに対し、70年代は都会と田舎では情報の伝達において時差が、間違いなくあったように思います。実際、私の周囲でも、この曲がヒットした時期(77年末)には依然としてキッス、クイーン、バスター、そしてベイ・シティ・ローラーズ(元ローラーズのパット・マッグリン&スコッティーズとイアン・ミッチェルのロゼッタストーンを含む)に人気が集中していて、チープ・トリックが話題になったのは翌年 "Clock Strikes Ten" や "Surrender" がヒットしてからでしたが、このことは、我々のような田舎に居住していた者は情報を入手するのが都会より遅かったことを示しているように思われます。

 

こちらはスタジオバージョンの日本盤シングルのジャケ写。

 

 

そして、またしても Daryl Hall の自宅でのセッション。

 

 

40年前には考えられなかった光景やな。