1946年6月20日、帝国憲法改正案は帝国議会に提出され、同月25日には衆議院に上程された。これを受けて同院は、同月28日に帝国憲法改正案委員会(委員長は芦田均)を設置して改正案の審議を付託した。そして、7月23日には具体的な修正案を作成するための小委員会(こちらも委員長は芦田均)が同委員会に設けられて審議が開始された。

 

この小委員会において、第9条に「平和」を盛り込むことが提案されるのである。そして、小委員会で議論が重ねられた結果、第9条は次のように修正された。

 

「第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。」

 

世に言う「芦田修正」であり、これが最終的に帝国議会によって可決されて現行の条文になっているのは周知のとおりである(ちなみに、よく知られていることであるが、改正案が修正可決された1946年8月24日の衆議院本会議において、共産党の野坂参三は、党を代表して、「当憲法第二章[第九条のこと]ハ、我ガ国ノ自衛権ヲ抛棄シテ民族ノ独立ヲ危クスル危険ガアル、ソレ故ニ我ガ党ハ民族独立ノ為ニ此ノ憲法ニ反対シナケレバナラナイ。」と、極めてまっとうな理由を述べて改正案に反対している-ただし、「自衛権ヲ抛棄」との理解は正しくないのではあるが)。

 

このようにして憲法9条に「平和」に関する文言が盛り込まれたのであるが、その契機となった提案をした鈴木義男(社会党)は、提案理由について、次のように述べている:「唯戦争ヲシナイ、軍備ヲ皆棄テルト云フコトハ一寸泣言ノヤウナ消極的ナ印象ヲ与ヘルカラ、先ヅ平和ヲ愛好スルノダト云フコトヲ宣言シテ置イテ、其ノ次ニ此ノ条文ヲイレヨウヂャナイカ、サウ云フコトヲ申出タ趣旨ナノデアリマス。」

 

また、外務省嘱託の小畑薫良から法制局長官に提出された「新憲法について」と題する文書には、「単に武装解除されたる敗戦国の現実を確認するのみにては情けなし。積極的に世界平和確立の高遠なる理想を表明せる条項を加えたしとの意見あり」と、その意図が一層明確に述べられている。

 

外務省のナイーヴな希望はさておき、要するに、憲法9条にいう「平和主義」とは、いくら言葉を飾ったとしても、所詮は現実を糊塗ないし現実から逃避するための後付けだったのである。それゆえ、何らかの崇高な理念に基づいて憲法9条が定められたのだというのは大いなる勘違いと言わなければならない。

 

(つづく)