次に、夫婦の姓について。既述のとおり、1875年のいわゆる平民苗字必称義務令(明治8年太政官布告22号)により、華士族に加えて平民も苗字を名乗ることを義務づけられたのですが、その際、夫婦の苗字について、婚姻後の妻の苗字は生家のものとするのか夫家のものとするのかを巡って疑義が生じたため、翌年、太政官は「婦女人ニ嫁スルモ仍ホ所生ノ氏ヲ稱スベキ事」(明治9年3月17日付太政官指令15号)と定めました。つまり、女性は結婚後も結婚前の氏(苗字)を名乗るということで、この時点では「夫婦別姓」が原則とされたわけですが、これはそれまでの武家の慣習に従ったものだということです。

 

ところで、これも既述したとおり、江戸時代の農民・町人もそのほとんどが苗字を持っていたのですが、彼らの間では、地方により若干のバラつきはあったものの、妻が夫の苗字を名乗るケース(つまり「夫婦同姓」)がほとんどであったため、政府の上記決定にもかかわらずこれに従わない者が多く、妻が夫の苗字を称するという慣行が変わることはなかったようです。

 

その後、1898年に施行された民法は「夫婦同姓」を定め(これは庶民の慣行を採用したというよりも欧米に倣ったものと考えられる)、第二次大戦後の改正民法でもこれは踏襲されて現在に至っていることはいうまでもありません。

 

では、明治の前はどうであったかというと、まず、「氏」(うじ)は原則として婚姻によって変わることはなく(例えば藤原道長の妻は源倫子)、夫婦は別氏でした(同じ氏同士で結婚した場合はもちろん同氏であるが)。これは中国の制度に倣ったものと考えられます(中国及びそれに倣った朝鮮半島では現在に至るまで一貫して夫婦別氏)。これに対し、「苗字」は家の名を表すものなので、同じ家の構成員は同じ苗字を名乗るようになったということです。つまり、妻は夫の家に入ると夫の苗字を名乗り、夫婦は同苗字ということになります。これは庶民のみならず公家においても同様で、例えば近衛家の当主(関白)の正妻は「近衛北政所」と称されていました(ただし、氏は婚姻によっても変わらなかったので、夫婦別氏・同苗字ということになる。もっとも、同じ氏同士で結婚した場合は夫婦同氏・同苗字)。ところが、武士においては氏のみならず苗字も婚姻によって変わらないこととされ、その結果夫婦別氏・別苗字(氏がない武士の場合は夫婦別苗字)となったのです。これは氏と苗字が混同されたのか、氏不変という考え方を苗字にも押し及ぼしたのかのいずれかによるものと思われますが、勉強不足のため詳らかにすることはできませんでした。

 

最後に現在の夫婦別姓の議論について一言しておきます。夫婦別姓論者は往々にして「日本ではかつては夫婦別姓であって、同姓になったのは民法が制定されたせいぜい120年ほど前のことにすぎない」と主張しますが、それは誤りとは言えないものの、正確ではありません。確かに、武士(別氏・別苗字)は「夫婦別姓」でしたが、ほんの一握りの存在でしかなく、人口の大部分を占める庶民は少なくとも室町時代以降約500年の間夫婦同姓(同苗字)であった(さらに、数の上では僅少とはいえ、両者の中間に別氏・同苗字を採る公家という存在があった)からです。夫婦別姓の論拠を歴史に求めるのであれば、こうした基本的な事実を踏まえるべきことは当然で、上記のような主張は、もし無知によるのであれば不勉強の謗りを免れませんし、知っていながら行うのであればそれはcherry-pickingという恥ずべき行為であると断ぜざるを得ません(もっともそのほとんどは単なる不勉強だと思う-思いたい-のであるが)。また、歴史的にはどちらとも言える以上、決定的な論拠となり得るものではありません。

 

結婚後どのような姓を名乗るかということは個人の自己決定権にかかわるものであるから、歴史的にどうであろうとそれに囚われなければならない理由はなく、そもそも論拠たり得ないのです。そして、個人の自己決定権のような、基本的に個人の私事に関わる事項について国家が介入することは必要最小限に止めるべきなので、結婚後どのような姓を名乗るかは各個人の決定に任せるべきです。ただ、その際、全く自由に姓を決めてもよいのではなく、従来の姓を維持するか結婚する相手の姓に改めるかの二者択一という制約が課されることが前提とされるわけですが、その程度の介入はやむを得ないものとして許される(逆に言うとその程度の介入にとどめるべき)でしょう。つまり、結婚する相手の姓を名乗りたければそうすればいいし、従来の姓を変えたくないのであればそれを尊重すべきで、法律をもって同じ姓を強制することは過度の介入であると言わざるを得ません。もっとも、周知のとおり、別姓を選択できるとした場合には子供の姓をどうするかという難問があります。これについては、夫婦の協議によって決定することとし、協議が調わなかったときはくじ引き(じゃんけん?)によるということくらいしか思いつかないのですが。

 

(以上の記述はあくまでアウトラインをざっくりと記したもので、細かい点については必ずしも正確ではないことをご了承ください)