日本の皇統は万世一系、すなわち同一の家系によって維持されてきました。これに対し、中国では王朝の家系は交代するものであり、これを易姓革命というロジックで正当化してきました。

 

そもそも、中国のような広大な国土の支配を一つの家系が維持することは実際問題として不可能でしょうし、さらには北方の遊牧民族からの侵攻に常時さらされ、その対応のために国力が疲弊することが避けられなかったという事情もあって、王統を一つの家系が保持することに拘泥していたら国として立ち行かなかったことは間違いありません。しかしながら、そのためにわざわざ易姓革命という王朝交代を正当化する論理を構築しなければならなかったということは、本来であれば、万世一系が理想的なあり方だということを逆に示すこととなっているものと思われます。

 

王統についての中国の思想がこのようなものであったためか、中国の冊封下にあった朝鮮半島、ヴェトナム、琉球等の諸国は、いずれも万世一系的なあり方に拘泥せず、王朝の家系が交代しています。宗主国が万世一系的なあり方を採らなかったので、それに倣ったということでしょうか。

 

このように、東アジアにおいては、一人日本のみが万世一系という国柄を貫徹しています。このことは、アーノルド・トインビーやサミュエル・ハンチントンら多くの史家が指摘するように、日本は中華文明圏とは別の独自の文明を有していることの一つの証左といえそうです。なお、天皇家が姓を持たないのは易姓革命を否定するためでしょう。姓がなければ「易姓」はあり得ないからです(この考え方は松本健一氏、小林よしのり氏も採っておられます)。もっとも、平安時代以降、次第に天皇が政治的権力を揮うことはなくなって、実際に権力の座に就いたのは臣下の家系ですが、その座は、藤原氏→平氏→源氏→北条氏→足利氏→織田氏→豊臣氏→徳川氏というように交代が行われており、実際には疑似的な易姓革命があったといえなくもありません。

 

ところで、ヨーロッパの王統は基本的に同一の家系によって維持されています。ヨーロッパ最古といわれるデンマークの王室は、確かなところでは10世紀以来同一の血統が連綿と受け継がれています。また、イギリスは、1066年のノルマンコンクェストの前後で王統の交代があるものの、それ以降はウィリアム征服王の血統が現在まで続いています。スペインは、1492年の統一以降も、それ以前のカスティリャとアラゴン、さらにはナヴァラ以来の血筋を伝えていますし、オランダも、ネーデルランド共和国の初代総督オラニェ公ウィレムの血統が続いています。既に王政が廃止されたフランスも、最後の王ルイ・フィリップに至るまでユーグ・カペーの血統に属していましたし、そのカペー家の分家から出たポルトガルの王室も同一の血統を維持しました。いずれも、正嫡が途絶えたときは、武烈天皇亡き後応神天皇の末裔である継体天皇が迎えられたのと同様に、傍系から後継者が出ています。ただ、傍系による王位継承は必ずしも円滑には行われず、例えば、英仏百年戦争のような戦争の原因となることがありました。

 

ともかく、東アジアでは異端ともいうべき万世一系による王位の継承が、ヨーロッパではスタンダードなあり方なのです(ただし、ヨーロッパの場合、イギリスをはじめとして、デンマーク、オランダ、スペインなどほとんどの王家で女系相続による「万世一系」が保たれている)。