ザクセン・コーブルク・ゴータ公国はドイツ中部に存在した領邦国家で、1826年、ザクセン・コーブルク公国とザクセン・ゴータ公国の同君連合として成立しました。この国は総面積約2000平方キロの小国にすぎなかったのですが、ベルギー、ブルガリア、イギリス、ポルトガルの四か国の王家がこの小国の君主の家系に連なっているのです。

 

ベルギーは1831年にオランダから独立しますが、その初代国王にはザクセン・コーブルク・ゴータ公エルンスト1世の末弟レオポルド1世が即位し、サクス・コブール・ゴータ朝を創設します。1920年には家名をベルジック家(フランス語。オランダ語ではベルヒエ家)と改め、現在に至っています。

 

1886年、ブルガリア公国のアレクサンドル1世が失脚した後、エルンスト1世の次弟フェルディナントの孫フェルディナンド1世がその後任のブルガリア公に迎えられ、サクス・コブルク・ゴツキ朝を創設します。ブルガリアが1908年にオスマントルコから完全に独立して王国となると、フェルディナンド1世は初代国王となります。1946年、ブルガリアは王政を廃止してソ連の衛星国となったため、最後の国王シメオン2世(フェルディナンド1世の孫)は亡命を余儀なくされます。しかし、ソ連崩壊後、ブルガリアが民主化されると帰国して2001年から2005年まで首相を務めました。

 

エルンスト1世の子アルバートはイギリス女王ヴィクトリアと結婚し、二人の間に生まれたエドワード7世は、1901年にヴィクトリアの後を襲って即位すると、家名をサクス・コバーグ・ゴータに改めます。しかし、この家名は、第一次世界大戦下の1917年にエドワード7世の子ジョージ5世によって、敵国ドイツに由来することを理由としてウィンザーと改められ、現在に至っています。

 

エルンスト1世の次弟フェルディナントの子フェルナンド2世は、ポルトガル女王マリア2世と結婚して共同統治者として国王の称号を与えられます。1853年、マリア2世が死去し、彼女とフェルナンド2世の間に生まれたペドロ5世が即位すると、ブラガンサ・サクセ・コブルゴ・イ・ゴータがその家名となります。しかし、1910年のポルトガル革命で王政は廃止され、最後の国王となったマヌエル2世(フェルナンド2世とマリア2世の曽孫)は子供を儲けることなく1932年に死去したため、ブラガンサ・サクセ・コブルゴ・イ・ゴータ家は断絶しました。

 

ザクセン・コーブルク・ゴータ公国は、1871年のドイツ統一に伴いドイツ帝国の構成国となりますが、1918年、第一次世界大戦後のドイツ革命により、ドイツ帝国とその運命を共にして消滅しました。但し、ザクセン・コーブルク・ゴータ家自体は現在まで存続しています。