皇族又は堂上家出身でない天皇の生母についてまとめておきます。

 

北朝第5代後円融天皇の生母藤原仲子は、石清水八幡宮祠官/社僧である紀(善法寺)通清の娘ですが、広橋兼綱の養女となって光厳天皇に典侍として仕え、後円融天皇を生みます。そして、後円融天皇の即位後准三后となり、後円融天皇が退位して上皇となった後に院号宣下を受け、崇賢門院と称しました。なお、彼女の養父である広橋兼綱は、天皇の「外祖父」として准大臣となっています。また、実父の紀通清は古代の豪族紀氏の末裔ですので、堂上家ではないものの、由緒のある家の出身ではあります。

 

ついでに、藤原仲子の姉の紀良子は、室町幕府2代将軍足利義詮の側室となって足利義満を生みます。つまり、足利義満は後円融天皇の従兄弟ということになります。さらに、良子・仲子姉妹の母は順徳天皇の曽孫とされており、足利義満が皇位を簒奪しようとしたという説は、この点を傍証の一つとするようです(もっとも、私はその説には懐疑的ですが)。

 

第103代後土御門天皇の生母藤原信子は、右馬助藤原孝長という下級貴族の娘ですが、大炊御門信宗の養女となって後花園天皇に仕え、後土御門天皇を生みます。後土御門天皇の即位後、嘉楽門院という院号を授けられました。なお、彼女の養父である大炊御門信宗は、五摂家に次ぐ清華家の出身で、内大臣に昇り、死後、後土御門天皇の「外祖父」ということで太政大臣を追贈されています。